東アジアの水汚染解消と被害救済に向けた新潟宣言

2008年10月11・12日に開催した「第4回 東アジア環境市民会議」。会議での議論と今後の方向性を新潟宣言としてまとめた。(以下、宣言本文)

新潟 東アジア環境市民会議は、2000年から形成されてきた日本・中国・韓国の環境NGO間で情報を共有するためのネットワークによって、2002年に日本(東京)で開催されて以来、これまで隔年で韓国(ソウル)・中国(西安)で各1回、合計3回、開かれた。この間、各国の環境概況から具体的な問題へと議論も深まり、ネットワークも発展してきた。

 このたび、日本そして世界で第2の水俣病が発生した新潟の地にて、2008年10月11日と12日、私たちは第4回東アジア環境市民会議に集った。過去3回の成果、特に第3回のテーマ「水と健康」を受け継ぎ、「東アジアの水汚染と健康~新潟水俣病の経験に学ぶ~」をテーマに掲げ、2日間にわたる議論の結果、以下の問題について共通の認識を持つに至った。

1.日本の公害被害者が40年以上前から訴えてきた「悲惨な公害を繰り返して欲しくない」という願いは、残念ながら、韓国でも、中国でも、日本ですら十分には叶わなかった。私たちは改めて今ここに「これ以上、悲惨な環境汚染の被害発生を繰り返してはならない」と訴えるとともに、既に起きている環境汚染の被害の一刻も早い解消と、被害実態の徹底的な解明、被害の完全な救済を切に願う。

2.かつて日本や韓国が苦しんだ深刻な水汚染が、現在、中国でも繰り返されている。経済活動のグローバル化により、中国の水汚染の原因はさらに複雑になり、影響する範囲もより広いものになって、被害者の声も聞こえにくく、被害の実態も見えづらくなっている。日本や韓国には、単に先に水汚染に苦しんだ経験があるだけではなく、既に中国で水汚染の原因として指弾を受けている有名企業が複数存在するなど、直接・間接に中国で環境汚染を引き起こしている原因も存在する。こうした現状と、「環境問題の被害は政策決定や権力から最も遠いところで起こる」「環境問題に国境はない」との認識の下、各国の被害者に向き合い、その声に耳を傾け、被害実態を把握し、それに対する対策、制度など関係する諸情報の収集、交換、共有を促進し、直接的な行動につなげていく。特に日本と韓国からの参加者は、中国の人々による水汚染克服と被害実態解明、被害者救済に向けた取り組みに、積極的な協力を約束する。

3.現在の国際的に複雑に入り組んだ経済関係は、消費者がある商品を手に取ったときに、それが安全や環境の面で問題があるかどうか、一見してわかるようにはなっていない。そのことが、中国の水汚染やその他の環境破壊を促す一因にもなっている。また、一部の企業が、人々の安全な生活を脅かし、環境その他の面での判断を誤らせるような、数々の偽装事件を起こしてきたことを深く憂慮する。企業に、安全と環境に万全の配慮をし、環境汚染その他、安全や環境を脅かす行為があるなら即刻それを停止するとともに、安全と環境の面での問題の有無を消費者が判断するのに必要な、正確で簡潔明瞭な情報の公開を求める。また、こうした問題を知る企業・行政関係者による積極的な内部告発を歓迎し、こうした内部告発は奨励こそされ、抑圧されるべきでないことを確認する。これらにつき、政府・自治体にも相応の制度整備を求める。

4.新潟水俣病は、決して単なる健康破壊や裁判事件にとどまらず、地域社会や被害関係者に各種の損害をもたらした。それとともに、映画『阿賀に生きる』をはじめ、各種の文化運動とその成果物をも生み出した。公害・環境汚染は防ぐことができれば最も良いが、起きてしまった被害には正面から向き合う必要がある。特に新潟の一部関係者につき、長年にわたって被害者が、支援者の支えも得ながら根気強く差別や偏見を乗り越えてきたすえ、被害と賢く、また時に楽しく付き合ってきた知恵に、私たちは学び続けたい。

5.日中韓の各地で発生した公害・環境汚染の被害者と、救済支援者の経験は全て、かけがえのない貴重なものである。各国で過ちを繰り返さないためにも、よりよい被害者救済を実現していくためにも、各国の若い世代が積極的に経験を受け継いでいくことが必要である。

 以上の課題に対する問題認識は、私たち日中韓の環境問題に関心を寄せる市民がネットワークを形成するなかで、次第に共有し深めてきたものである。今後も、この国境と世代を越えた交流・相互理解・信頼・協力のネットワークを深化させ、拡大し、強化していくべきである。私たちは汚染がなく、快適で調和のとれた環境共同体を創っていくため、共同の努力を続けていく。

 2008年10月12日

 第4回 東アジア環境市民会議 参加者一同

第4回 東アジア環境市民会議 参加者一同

この日は趣旨採択にとどめ、宣言文の確定は後日となった

【筆者】相川 泰(宣言とりまとめ)(AIKAWA, Yasusi) / 東アジア環境情報発伝所 / 宣言文 /  [J08112801J]
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水から鳥へ~第四回東アジア環境市民会議に参加して

「東アジアの水汚染と健康~新潟水俣病の経験に学ぶ~」をテーマに掲げた第四回東アジア環境市民会議から数日が過ぎた。

新潟 「東アジアの水汚染と健康~新潟水俣病の経験に学ぶ~」第四回東アジア環境市民会議から数日が過ぎた。水俣病被害者の方々から話をうかがったことや医学専門家による調査報告、汚染現場の再現展示(環境と人間のふれあい館)、汚染源調査、被害者グループの訪問、旗野秀人さんの講演、全てがまるで昨日のことのように鮮明に記憶に残っている。

 水俣病の経験に学ぶことにより、水汚染のもたらす影響の大きさをこの目で確認し、胸に刻んだ。また長引く訴訟とそれに負けない支援者の不屈の精神、37年間被害者のために尽力してきた旗野秀人さんには全く感心させられた。彼は尊敬すべきヒーローである。他にもいまだに耳から離れない『酒歌』に代表される被害者たちのポジティブさや、このプロジェクトのための資金集めに奔走し、公益事業に黙々と貢献してきた廣瀬稔也さんの実務精神に対しても賛嘆の一言である。

 法律の角度から言って、新潟水俣病の実例は典型的な証拠連鎖であり、新潟水俣病はまた同時に典型的な判例でもある。この判例はアジアだけでなく国際的にも実例として意義を有する。

 東アジア地域の水汚染と健康をテーマとした市民環境会議により、中国・日本・韓国のNGOが一同に会し、新潟水俣病の情報に加え、長江・淮河・遼河等の環境情報や、韓国半島大運河市民活動の情報までもが共有された。同じ経験を共有することは、以上三ヶ国での市民環境活動の輪を広げることに繋がる。

 たくさんの大型河川があり、鉱山開発が盛んな中国にはどれほどの「水俣病」が存在しており、どれほどの被害者が存在し、どれほどの環境問題が未解決のまま残され、どれだけが法的手段に訴え、どれほどの未公開の環境情報があるだろう?

 中国における市民参加型環境保護はよいスタートを切り、一定の成績を収めたが、まだ歴史が浅いため経験と力量が不足している。まだ発展の余地があり、官民相互協力の中で発展し、たゆまず成長していく必要がある。

 東アジア環境市民会議は水汚染をテーマとしているが、更にその範囲を、例えば湿地保護や鳥類保護まで拡大することができる。中国遼寧省盤錦市にある遼河の三角州の湿地帯に絶滅の恐れのあるズグロカモメが生息しているが、その繁殖地は同河川の東岸から西岸へと移動した。移動の原因は東岸の開発によりズグロカモメの生態環境が変化したためである。しかし西岸もいけす養殖業開発、水産捕獲等の問題に面しており、人間と鳥が縄張りと食を巡って対立している。ズグロカモメの保護はこのような状況下で行われ、現在も継続中である。ズグロカモメは中国・日本・韓国に分布し、中国と韓国を繁殖地、日本を越冬地としている。毎年この三国間を渡来しているので、中国・日本・韓国は水環境保護だけでなく、ズグロカモメの保護でも協力ができる。

 6年前に韓国の仁川(インチョン)や松島などのズグロカモメの繁殖地を視察のために訪問した際には、韓国のNGOの友人がたくさんできた。日本と中国によるズグロカモメの共同研究は12年の歴史があり、4年前に日本は北九州の越冬地を視察した際にも、当地の学校を訪問し、環境NGOの人々と交友を結んだ。ズグロカモメ保護協会は2003年に中国・日本・韓国の鳥類専門家及びNGOの参加したズグロカモメ保護国際検討会を主催した。

 今年の12月には、私のズグロカモメ保護活動が日本の読売新聞によって取り上げられ、それからすぐに日本の細貝弘毅さんから書簡にて、ズグロカモメ保護の資金を募るためのチャリティショーの構想を提案頂いた。今回の第四回東アジア市民環境会議開催期間中に、細貝弘毅さんご夫婦に面会し、再度チャリティショーについて話し合った。この会議がもたらしてくれたよい機会に感謝しなければなるまい。

 ズグロカモメ保護は、いつか東アジアの、更には国際的な教訓となり、環境保護や鳥類保護のための参考にできる経験となると思う。

【筆者】劉 徳天  / 盤錦市ズグロカモメ保護協会(Saunders Gull Conservation Society of Panjin City
)
 / 寄稿 /  [C08112602J]
【翻訳】中文和訳翻訳チームA班 野口順子
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2008年河川十年紀行(その3) - 自然への畏敬

5・12四川大地震後、汶川からの情報は途絶えたままである。

四川省 5・12四川大地震後、汶川からの情報は途絶えたままである。当時、私達はテレビで解放軍が土石流の中を進んで行くのを見ていた。この時、全世界の人々が汶川に注目していた。

 今年の河川十年紀行では、映秀から汶川へ向かうことになり、私は「怒り狂った」山と河を自らの身をもって体験することとなった。

 地震後、堰止湖は私達が最も注目する脅威となった。当時、国家指導者に初めて「堰止湖は私達の生命を脅かしている」という警告を出した地質学者の楊勇氏は、今回の河川十年紀行の専門家の一人である。今日、私達は汶川へと出発してほどなく、川の流れが急になったり緩やかになったりしているのを目にし、このことから私達は堰止湖とは何であるかを知り、静かな湖水とあふれ出した時の恐ろしい湖水の両方とを理解することができた。

 今回の大地震後、山中にある水は、私達に水に対する新しい認識を与えたと言える。また、私達に多くの連想をさせた。ある地元の人は私達に、この堰止湖の所在地は「一杯の水」と呼ばれていると告げた。この名前の意味は、どんな時であっても、人々はここで飲み水にありつけるということである。しかし、地震の後、この「一杯の水」の標識は山中に埋まってしまった。しかし彼は、どんなにここが変化しようとも、全ては自然が決めたことであり、人々の運命と自然の運命は互いに密接な関係にあると信じている。人類は自然の面前ではちっぽけな存在なのである。

 2008年河川十年紀行に参加した記者のうち、私の他には、光明日報の馮永鋒氏と南方都市報の盧斌氏のふたりが映秀から汶川への道を歩いた。私達は、岷江峡谷の両岸は緑にあふれていたことをはっきりと覚えている。確かにかつて製鋼製鉄のためにこの山や全国の多くの山の木はほとんど伐採されてしまった。しかし、今日私達が道中で取材した人々は、70年代から現地の人々は植樹を始めていたと語った。岷江周辺の生態系と気候は植樹に適しており、当時彼らが植樹した木は、すでに人ひとりでは抱えられないほどに大きく育っていた。しかし、今回の大自然の「活動」により、私達の目前の山はすっかり姿を変えてしまった。

 最近、多くの専門家が地震後に形成された堰止湖を保護すべきだという意見を出している。そうすれば、私達人類は更に多くの九寨溝のような景色を思う存分鑑賞できるようになるというのだ。

 しかし、現実の大自然の中には多くの美しい景色があるが、一体どれが大自然の傑作ではないのであろうか? 私達の言う大自然の神工鬼斧とは、私達人類からすると、あるものはすばらしく、あるものは災難であるかも知れない。しかし、自然の観点から見ると、自然は自然なのである。

 今回の5・12大地震は、人々から汶川大地震と呼ばれている。また、救済活動の最初の段階では、人々は多くの注意を汶川に払っていた。しかし、本当の震央は映秀であったと後にわかることになる。2008年河川十年紀行のもう一人の専門家である範暁氏は、第六期《中国国家地理》で発表した文章の中で、5・12大地震は「龍門山大地震」と名づけるべきであると発表した。今回の地震で被害が大きかった地方は、全て龍門山周辺にあるからである。

 今日私達の車が汶川の都市に到着したとき、ある人がこのように言った。「汶川の建物の9割は倒壊を免れたが、映秀の建物は9割が倒壊してしまった。」

 大自然が私達をちょっとからかった、とでも言うのであろうか?

 自然への畏敬の念を持ち、自然を認識し、自然と向き合って行く過程で、私達は自分のあるべき場所を探すことができるのだろう。

 今日、映秀から汶川に向かう途中、私は自分自身にこう問いかけた。私達の河川十年紀行はあと7年続く。その将来の7年間、私達が記録することになるこの一帯の自然は、私達にいったい何を啓示してくれるのであろうか。私は自分自分がこの十年の記録に幸運にも参加できたことに、深い責任を感じている。

【筆者】汪 永晨 / 緑家園ボランティアズ(Green Earth Volunteers) / 寄稿 /  [C08112601J]
【翻訳】中文和訳チームC班  富川 玲子]]>

公害地域の環境再生・そのアジアへの発信

水島(岡山県倉敷市)で開催された日本環境会議で、公害経験をアジアへどう発信するかが議論された。

岡山 第26回日本環境会議水島大会が、2008年9月20日(土)~22日(月)の日程で、「環境再生と健康なまちづくり」を全体テーマとして、倉敷芸術科学大学で開催された(のべ参加500人)。日本環境会議は、学者や弁護士などを中心に1979年に設立された学際的な団体で、公害地域の環境再生・地域再生に関する政策提言等の活動を続けている。あおぞら財団では、同会の取り組みに学び会員と交流を深めるため、設立当初から参加してきた。今大会で、財団は、2日目に第3分科会「公害地域の環境再生・そのアジアへの発信」への企画運営に協力、報告を行った。

■パネルディスカッション ― 公害経験とそのアジアへの情報発信

 2日目(21日)に開催された第3分科会「公害経験と環境再生・そのアジアへの発信」では、まず、早川光俊先生(弁護士、地球環境と大気汚染を考える全国市民会議(CASA)専務理事)から特別報告「地球温暖化防止の視点から公害経験と環境再生への取り組みについて」があった。次に、中国・韓国の公害環境問題の実情報告が2件、大阪(西淀川)・名古屋・倉敷・尼崎における環境再生・地域再生に取り組む活動の事例紹介が4件行われた。

 大阪・西淀川からは「公害経験の教訓を活かした環境再生のまちづくり-地球温暖化防止の視点から」をテーマとして、主に大気汚染公害反対運動と裁判の経過、区内の大気環境や区民の居住意識の実情、それらを踏まえて、持続可能な社会づくりに向けて、エコドライブを中心とした交通まちづくりや中国・アジアへの公害経験の情報発信を進める財団の活動を紹介した。

 つづくパネルディスカッションでは、日本と中国、韓国を中心としたアジアにおいて、公害・環境問題の解決にむけて情報の発信と交流等を中心に議論を行った。

■今後の協働実践に向けて

 あおぞら財団では、交通まちづくりの活動や公害経験の教訓を中国やアジアに情報発信する活動を重点事業として位置づけている。今後も、日本環境会議に集う研究者、被害者、様々な個人や団体等との交流を通して、活動を一層前進したいと考えている。そのことが、西淀川区における環境再生のまちづくり、そして、各地の公害地域の環境再生の活動に蓄積されるよう、関係者と連携し、協働して取り組みを進めたい。

日本環境会議全体会議~里見和彦医師の報告「包括的呼吸リハビリテーション-その効果と課題」(2008.9.20)

日本環境会議 第3分科会・パネルディスカッション(2008.9.21)

日中公害被害者支援活動支援交流会(2008.3.28開催)

【筆者】矢羽田 薫(YAHATA, Kaoru) / (財)公害地域再生センター(あおぞら財団) / 寄稿 /  [J08112101J]
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第4回東アジア環境市民会議に出席して

各国の報告を聞き、どの国にも工業によってもたらされる汚染が共通して存在するというひとつの事実に大きな衝撃を受けた。

新潟 東アジア環境市民会議は、中国、日本、韓国3カ国のNGOが一堂に会し、協力して国際的に環境保護の活動を進めるために開く会議で、東アジアの様々な環境保護の団体が交流し、ともに活動する機会とその場所を提供するものである。すでに3回の会議を成功裏に開催しており、中国、日本、韓国三方の努力の下、2008年10月12日に第4回目となる会議が日本の新潟市で開催された。報告者のいきいきとした発表、出席者との活発な議論、現場訪問の数々など―――。今回の会議は私にとって実り大きいものとなった。

 「第4回 東アジア環境市民会議」のメインテーマは「東アジアの水汚染と健康」。新潟水俣病の経験に学ぶというもので、これが日本の新潟市で開かれた理由である。1964年、日本海に面する新潟県の阿賀野川流域で、昭和電工という会社が流したメチル水銀を含む廃水により水俣病が発生。短期間に患者数は45人にまで増加し、うち4人が死亡した。被害者は損害賠償を請求し、数十年にわたり今でも続いている裁判が始まった。会議では新潟水俣病安田患者の会の事務局長を務める旗野秀人さんが新潟水俣病の状況を説明した。このなかで、私は1956年以来、日本の中央、地方、両方の政府が一貫し被害者の側に立つことはなく、企業の利益を保護する姿勢でいることを知った。これは中国の環境保護団体にも警鐘を鳴らすもので、私たちは汚染事故の発生抑制や環境保護の啓蒙活動に加えて、環境汚染による被害者など弱い立場の人々に対して、政府が目を向けるように働きかけていかなくてはならない。

 関係者の案内で、昭和電工の鹿瀬工場跡地を見学した。そして数人の患者と直接会って話を聞き、その後は環境と人間の関わりを紹介した資料館を訪問。50年来の水俣病研究の歴史に触れた。私は頭の中で、母国が抱える水汚染の現状と、まだ眼には見えていないものの、もたらすかもしれない大きな被害に思いを巡らせていた。中国は近い将来、水俣病のような患者が現れるのではないかという心配。これは決して考え過ぎではない。会議で聞いた中国各地から来た環境保護NGOの発言を踏まえると、急速な工業化により経済的利益が生産者の目を曇らせ、中国の長江、淮河、遼河、漢江などの汚染が進んでいる。私たち環境保護NGOは、自分たちの肩にのしかかる責任の重さを痛感せざるを得ない。

 今回の会議に参加して、私は各国の報告を聞き、どの国にも工業によってもたらされる汚染が共通して存在するというひとつの事実に大きな衝撃を受けた。その現れる形や被害の程度に違いはあるものの、工業化、現代化、あるいは軍事化などの過程を通じて生み出される。水俣病は日本でしか発生していないものの、それはすべての人類の今、そして未来を危うくし、全人類が共に直面すべき傷として残る。だからこそ、各国は結束して、交流・協力を強めながら、科学的に更なる予防措置を講じるべきだ。

 会議は閉幕した。だが責任は重くなった。水俣病の患者のために数十年にわたり活動してきた旗野秀人さんの精神。私たち環境保護NGOの実力はまだ足りないかもしれないが、これに見習い共同して私たちみんなの“家”を守っていこう!!

【筆者】李 俊 / 寄稿(Beijing Association of Sustainable Development) / 北京市持続可能発展促進会 /  [C08111902J]
【翻訳】中文和訳B班  畦田 和弘]]>

環境保護組織が共同で北京市に“ネズミ駆除”の方向性を変えるよう提案

民間組織は、当面都市部で普及している大ざっぱなネズミ駆除の方法は改良される必要があると発表した。

北京市 北京地球村環境センター、自然の友、緑家園ボランティア等の多くの民間組織により、北京で撒かれた殺鼠剤について1年間研究観察した結果、現在都市部で普及している大ざっぱなネズミ駆除の方法は改良される必要があるということがわかった。改良されなければ、公共財源の無駄遣いになるだけでなく、都市に住む鳥類、犬や猫等その他の生物へも被害を及ぼすだろう。

 冬が来ると、北京ではすべて公共の場所に三角の小さな黄色い旗が立てられる。旗には“殺鼠剤を撒いています”“気をつけてください、触れてはいけません”等の文字が書かれている。旗の周りにはインゲンマメ大、ロウソク塊状の殺鼠剤が撒かれており、その多くは道行く人々に故意なのか無意識なのかわからないが踏みつぶされてしまっている。このような全面的に覆い囲む、陣を整えて敵を待つといったような“ネズミ駆除”の方法は本当に効果があり、かつ生態環境に影響がないと言えるのだろうか?

 2007年12月1日、民間環境保護組織数団体が共同で設立した“都市の水を楽しむ旅”の活動中、環境保護ボランティア達が護城河東側(北京腫瘤病院近辺)の川面で、十数羽の雀が水中で死んでいるのを発見した。「当時我々はみんなで雀が死亡した原因について考えていた。後に、川岸に投げられたばかりの、道行く人々に踏み砕かれた殺鼠剤を食べたことが最大の原因だろうと思った。」

 この発見により、“自然の友”は“殺鼠剤調査志願団体”を立ち上げ、北京地球村“NGO化学品共同ネット”の少額出資援助を受けた。また緑家園ボランティア等の環境保護組織は研究過程で全面協力した。“殺鼠剤調査志願団体”はそれぞれの公共施設に撒かれた殺鼠剤の状況、国内外の関連文献を調べた。また、ネズミ駆除の主管機構を訪れ、多くの人々に取材をした。

 子(ねずみ)年が間もなく終わり、新たに“ネズミ駆除の季節”が到来しようとしているころに、“殺鼠剤調査志願団体”は、彼らの研究成果である「ねずみ年に殺鼠剤-都市部でのネズミ駆除業務及び結果と調査」を発表した。彼らの一年の研究成果が、すべてこの報告書に凝縮されている。

 北京師範大学・歴史学部環境史博士研究生の毛達氏は、この研究の全過程に参加した。「世界中ほとんどの都市でネズミ問題について議論がなされているが、多くの場所では“ネズミ駆除”ではなく“防鼠”或いは“総合ネズミ被害管理”を行っている。2つの理由が挙げられると思う。第一には、生態系の観点から、ネズミは自然な生態連鎖の重要な一部でありすべて消滅させるわけにはいかない。第二に成果を見ても、人類は全てのネズミを駆除するのは不可能である。したがって我々は“ネズミ駆除”より“防鼠”すべきだと提案する。そうすればより環境倫理に合致するであろう」と毛達氏は言う。

 北京密雲県大城鎮センターの小学校教諭・朱秀栄担当研究グループ長に話を聞いた。「我々は研究報告の中で更にいくつかの提案を行った。第一に殺鼠費用は公共財源であるので、北京市は現在の殺鼠業務の効果について再評価を行い、その結果を社会に公開すべきである。第二にネズミ駆除と同時に都市生態系へのマイナス面の影響を考える必要がある。殺鼠剤は一度撒かれるとどこまでも自然界に流れ込むので、完全に自然界の“浄化”作用に頼れるのか、また生態系にどんな影響があり得るのかはわからない。第三の提案は、我々の研究観察業務はまだ始まったばかりなので、中国全土から更なる環境保護組織ボランティアにこの研究に参加してもらい、当地の殺鼠の現状に注意を払ってもらうこと」という。

 調べによると、環境保護組織は研究報告を関連の“ネズミ被害防止”部門に送ると同時に、ボランティアを組織して殺鼠剤を散布している住民委員会やビルメンテナンスに関連する責任者に提出する準備をしている。この報告書の電子版は、環境保護プロジェクト“自然大学”のホームページからダウンロードできる。

*更なる情報は、下記に連絡願います。

・自然の友プロジェクト担当 伊杭氏 65232040
・北京地球村化学品共同ネットプロジェクト調和担当 姜超氏 82252047

 または関連ホームページ:自然の友(http://www.fon.org.cn/)、自然大学(http://www.nu.ngo.cn/)、化学品共同ネット(http://www.chemical.ngo.cn/)

【筆者】伊 杭 / 自然の友 / 寄稿 /  [C08111901J]
【翻訳】中文和訳チームA班  中西 貴美子]]>

東アジアで“共生社会”は可能か ― 東アジア平和フォーラム2008

日中韓の市民社会研究者や活動家などが、東アジアにおける共生について議論を交わした。

広東省 2008年11月9日、10日に中国・深圳において、「東アジアで“共生社会”は可能か」をテーマに、「東アジア平和フォーラム2008」(主催:東アジア平和フォーラム2008実行委員会)が開催された。

 このフォーラムは、戦後50年の1995年にソウルで開催された日韓シンポジウム、2006年10月に東京で開催されたフォーラムに続いての開催となる。前回は、「私たちは『東アジア人』になれるか」をテーマに、歴史、平和、環境の3つのテーマについて議論を行い、東アジアの脱冷戦が地域の最大の課題であることが共通の認識となった。

 3回目となった今回は、(1)格差社会、(2)脱冷戦時代、(3)共生社会をつくる主体の3つのテーマについて2日間の議論を行った。

 折りしもアメリカのサブプライム問題に端を発した世界同時金融危機が、各国の経済や市民の生活に大きな影響を与えつつあり、日中韓それぞれに深刻な格差の存在があらためて報告された。参加者の一人、慶応大学の金子勝教授は、今回の世界金融危機は10年近く続くような深刻な問題であるとし、それぞれの社会で雇用が崩壊する今こそ、遅れた産業であると考えられてきた農業やエネルギー分野で新しいビジネスをつくり、雇用を守る、つまりもっとも新しい産業に生まれ変わる時だとコメントした。

 新潟で開催した「第4回 東アジア環境市民会議」でも、もっとも権力から遠く、経済的にも弱い人びとが公害汚染による犠牲者になるという話が出ていたが、東アジアにおける環境問題も貧困問題と密接につながっている。危険なE-wasteの解体に従事する中国の労働者も農村部から出稼ぎに来たような貧しい人びとが多いことを考えると、E-waste問題の真の解決のためには、健康被害の防止だけでなく、新たに生計をたてる手段をどうするかも同時に考えていかねばならない。

 また、共生社会をつくるためには、相互の信頼が不可欠で、信頼とは共に行動をする中でしか生まれてこないということも共通の認識となった。また、韓国の研究者からの報告で、東アジアにおける市民社会づくりの環境分野の代表例として、ENVIROASIAの取り組みと東アジア環境市民会議が紹介された。次回のフォーラムは、来年か再来年に韓国で開催される予定だという。

 今回のフォーラムに集まった環境以外の分野の人びととの連携も視野に入れ、東アジアにおける環境問題の解決にさらに尽力していきたい。

東アジア平和フォーラム2008

【筆者】廣瀬 稔也(HIROSE, Toshiya) / 東アジア環境情報発伝所 / 寄稿 /  [C08111401J]
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環境への関心を、そしてさらに人々へ関心を

新潟から帰国

中国全土 新潟へ訪問する前、単に“公害”“水俣病”が結びついた地名での新潟しか知らなかった。訪問前に資料を探し、新潟は日本でもっとも有名な米の産地のひとつであることを知った。事前にわかったことはこれだけだった。しかし10月11日~13日の3日間にわたる新潟訪問から帰国して、もう一度新潟について話してみると、まずはじめに目に浮かんだのが旗野秀人氏、権瓶晴雄氏、斎藤恒氏、関礼子氏、そして初めて出会った深く印象に残る年配の患者さんたちであった。これ以来新潟は私の記憶の中で、こうした人たちと深く結びついた。

 もちろん、新潟訪問は43年前に新潟で発生した新潟水俣病に対して、よりはっきりと認識を持たせてくれた。水俣病はメチル水銀が入った工業排水が水俣湾(熊本県水俣市)に排出されたことによって引き起こされた魚やエビ、そしてそれを食べた人の中毒事件から付けられた名前である。1965年日本海沿岸の新潟市でも再び同様の工業汚染病が起こり、新潟水俣病と呼ばれるようになった。実際、熊本の水俣病は1956年に起こったわけではなく、1956年に大発生したのである。同じように新潟水俣病も1965年に大発生し、実際はもっと早い段階で起きており、今でも、正確な発生年代は判断できない。当時は水俣病のような公害は本当にさまざまな原因が混ざっており、水俣病の発覚は長い過程を要したことに気付かされた。また、この過程の中で被害者の利益が深刻に侵害されているのである。このような侵害を隠蔽することができない段階になってようやく、この種の侵害は公になったのである。

 10月11日午後、新潟市・朱鷺メッセにて行われた第4回東アジア市民環境会議で講演された一橋大学教授の寺西俊一氏が水俣病に正面から立ち向かうべきだと話す中で、“環境汚染は常に立場の弱い人たちの身に及んでいる”と述べられた。この言葉に私は心を打たれ、深く考えさせられた。寺西氏の話は鋭く、問題の核心を突くものであった。

 これは私に最近中国で起こったばかりの汚染ミルク事件を連想させた。この意図的な食品汚染が最終的に行き着くところ、つまり被害者はもっとも弱い立場にある人々なのであり、中国の低所得家庭の嬰児(この前には安徽省では悪質な粉ミルクによる乳児死亡事件が起きており、事件範囲が1ヶ所のみだったため、さほど大きな影響を引き起こさなかっただけに過ぎない)。これら被害者は完全に自己保護能力がない人々であり、彼らの権益は社会道徳、良心、法律によって守るしかないのである。これに思い至ったところで、まさに人間的に劣悪で嬰児たちに被害を与えたすべての関係者に対し、恥ずかしさと怒りを感じる。

 新潟水俣病の発生からすでに43年になる。現在80歳あまりの権瓶晴雄氏は当時阿賀野川で漁師をしており、この生活を支えている豊かな川の上流が、昭和電工から毎日排出される大量の有毒排水が流れることで、魚やエビが毒を持ち、食用の魚やエビを食べた人々に中毒症状をはじめ、さまざまな病状を引き起こしたのである。これは非道徳なことであり、全く道理に反しているといえる。自殺に追い込まれ、4人の幼い子供を残した者もいた。現在、権瓶氏は新潟水俣病資料館で悲惨な過去の歴史を来館者に語る役目を果たしており、私にとって彼は初めて知る過去に悲惨な生活を送った新潟水俣病被害者であり、汚染が引き起こした病気の苦痛のみならず、家族を失う悲しみや一人で子供を育てる大変さを味わい、さらにさまざまな非難を浴びた人であることを知った。そして、一般人が苦しみを隠し耐えているということ、自分の権益を勝ち取るのはつらいことも彼は教えてくれた。記者の私ですらこのようなつらさを過去に味わった人をインタビューできることはめったになく、過去の話が彼の苦しい記憶を呼び起こしてしまうことが怖かった。しかし、権瓶氏は過去の公害教訓を各地の人々に伝えるため、これらの話をしてくださるのである。私は彼を心から尊敬する。歴史から逃げず、教訓からも逃げず、そして今日、未来があるのだと思う。

 80歳過ぎの斎藤恒氏(木戸病院名誉院長)は良い医者とは環境公害とその被害者にどう立ち向かっていくべきかを私に教えてくれた。彼は私たちに2つの詳しい調査報告を行った。一つめは、1976~1980年阿賀野市のS地区で20歳以上の321名から100名を選び行った調査の結果であり、98%の人が四肢に麻痺を感じ、視力障害、聴力障害、転びやすくなる、手でものをしっかりつかめない、手足の筋肉がしばしば痙攣したり引きつるなどの症状が見られると答えた。2つめは現在もまだ研究している課題についてであり、メチル水銀が成人に及ぼす影響と比べ胎児や嬰児など大脳発育期の人体に及ぼす影響がより大きいということである。<現在までの明らかな症状の水俣病患者一覧表>、<出生前後にメチル水銀に触れた病例調査>を用いて彼の観点を説明していた。

 新潟水俣病の爆発的発生は病気にかかっていない旗野秀人氏の運命も変えた。当時中学三年生であった旗野氏は家業を継ぎ大工になるべきかどうかという問題に直面していた。しかし、熊本水俣病のために汚染企業との交渉を行っている川本輝夫氏に出会い、彼の教えと影響を受けたことで変わった。その後、彼は新潟水俣病患者を訪ね、患者の苦しみに耳を傾け、事実の究明にあたった。それからすでに37年が過ぎている。中国ではいつも毛沢東の“一人がひとつの良いことをするのは難しいとは限らない、難しいのは一生良いことを行うことである”という言葉を引用している。これは旗野氏の身の上に最も当てはまるべき言葉である。

 水俣病患者の権益の獲得のために奔走した関礼子教授や谷洋一氏など学者の方もいらっしゃった。彼らは<水俣病の教訓>つまり<水汚染問題における日本市民の役割>を研究されており、これらの研究成果は今、水汚染と闘っている中国やアジアの人々に伝えられている。

 また、安田患者の会の方々との交流会会場でお会いした92歳の渡辺参治さんは高らかに<ソーラン節>を歌っていた。彼が歌っているとき彼に拍手をしていた方々は何を考えていたのだろうか。きっとこうした静かな生活を送っているお年寄りたちを祝福していたのだろう。

 新潟訪問で出会ったすべての人からハッキリとわからせてくれたのは、“環境に注目、さらに人々に注目、社会発展、さらに人を出発点にすること。われわれの心にしっかりと刻み、努力すること”である。

【筆者】康 雪 / 環境友好公益協会 / 寄稿 /  [C08111201J]
【翻訳】中文和訳チームB班  廣田 智子]]>

2008年河川十年紀行(その2) - 映秀の仮設住宅に泊まって

5・12四川大地震後の映秀

中国全土 昨日、私達は陳明の家を出発し、映秀へと車を走らせた。5・12四川大地震の後、初めてここに来た記者達は、みな車窓から見える河や山に釘付けになり、大きな山の変わり果てた姿に信じることができないようだった。

 私達が映秀の山の頂上に立つと、目の前に広がる映秀の街はいくつかの傾いた建物を残して、ほぼ一面瓦礫と土砂であった。

 沈み行く夕陽の中で、私達は映秀小学校の跡地を探し出すことができた。学校を見つけた時、また5ヶ月間毎日この場所ではためいていた国旗、そして映秀の近辺を滔々と流れる漁子渓の水音に気がついた。

 私は地震後に被災地を訪れるのはこれで4度目だが、被災者らの家に泊まるのは初めてである。つまり映秀を故郷とする人達に是非にと連れて来られたわけだが、映秀の街に到着した時、辺りはすっかり暗くなっていた。車を降りて荷物や寝袋などを運び下ろしている私達を、仮設住宅に住む村の人々が温かく迎えてくれた。

 村の支部書記である張永福氏が、仮設住宅に住んでいるのは映秀の人ではなく、山で暮らしていた農民であると教えてくれた。地震が起こる以前、彼らは「農村体験レジャー」の経営拡大を目標に生活していた。この一帯は山が多く、週末や長期休暇になると成都から多くの人々が訪れていたからだ。ここ2年「農村体験レジャー」で得た収入は、どの家庭にも十数万元の新築が建てられるほどだった。5・12大地震は一瞬にしてその真新しい家々を山の下に埋めてしまったのだ。幸運にも難を逃れた人々はここに移住し、村名を漁子渓とした。

 夜、村の書記を取材したところ、地震後に温家宝や李長春などの国家指導者がここを訪れていたことを知った。現在村の人々は収入がなく、国からの支援も8月で途絶えている。更に毎月200元を2ヶ月間支給するという話もあるらしい。しかし食糧はない。人々はどうやって生活しているのかと尋ねると、書記はどの家庭にもいくらかの貯えがあると答えた。「いくらぐらい?」と問うと、一万元に満たない程度だと教えてくれた。

 仮設住宅で私は一晩ぐっすりと眠ることができたのだが、同行した仲間の何人かはよく眠れなかったようだ。この近くに「万人坑」(注:無造作に大量に遺体を埋める墓穴)があるらしいのだが、近い将来そこを地震の共同墓地にするという話を村の書記から聞いたのだ。そういえば、書記はもう決定事項として次のことを話してくれた。「汶川地震博物館と共同墓地をここに建築することになっている。だから、今後国内外の旅行客が途絶えることはないだろう?」と、彼は私達に問い返した。

 北川県の取材から戻ったばかりの史江涛氏は、映秀の漁子渓村は確かに北川県の状況と比べると良い方で、物資も豊富であると話した。彼にとって印象深かったのは、北川県が属する綿陽市の指導者が二度視察を行なったのだが、一度目は車から降り、少し視察した程度でまた乗車、二度目は車さえ降りてこなかったということだ。

 翌日の朝目覚めると、仮設住宅の周りではゴミばさみや竹ぼうきを手にした人々が、地面のごみを拾ったり、掃いたりしていた。私から見ると、もう十分にきれいになっているのだが、彼らはまだごみを探したり、掃いたりしている。これも仕事の一つで、わずかばかりの報酬を得られるらしい。

 私達が映秀の村に泊まったその夜、広東から支援に来た特別警察を見送るため、村の人達は漁子渓の近くで祝賀花火を上げた。夜空を紅く染める花火。その時、体に感じられるほどの余震に遭遇した。村の人達は、この程度の余震にはもう慣れたと言う。

 私は彼らにこれからどうするのかと尋ねると、ある若者が興奮した様子で次のように話した。「どうしようもないのは家を建てる土地が無いということだけで、それさえ解決すれば数年もかからずに、また良い生活を送ることができる。もともと住んでいた山には帰ることができないし、ここには共同墓地が建設される。家を建てる場所さえ決まれば、自分達で家を建てられるのに。自分の生活は自分の力でどうにかしなくてはならないのだから。」

 私達は漁子渓村の仮設住宅に泊まったあの夜、耳にしたこと、目にしたこと、感じたことをきっと一生忘れないだろう。あれだけ大災害を経験した人がこれほどにも強い自己救済意識を持っていることに敬服する。また同時に、5・12四川大地震の後世界中の人々が援助の手を差し伸べたが、今現在四川の被災者や彼らの生活に、どれだけの人が関心を持っているのだろうかと憂慮する。更にいえば、被災者らの人生における最も苦しい時期を乗り切るのに、あれほど沢山集まった救援物資は、実際のところどれくらいの助けになったのだろうか、疑問が残る。

【筆者】汪 永晨 / 緑家園ボランティアズ(Green Earth Volunteers) / 寄稿 /  [C08111202J]
【翻訳】中文和訳チームC班  小松 圭子]]>

エコプロダクツ2008に向けて~中国語・韓国語対応のご紹介

2008年で10周年を迎える「エコプロダクツ」。今年は中国語・韓国語対応が初めて採り入れられる。

東京 1999年12月に始まり、今年2008年で10周年を迎える「エコプロダクツ」。環境に配慮した製品やサービスの普及と持続可能な社会の実現をめざして開催されてきた同展だが、その波及効果の程はさておき、出展者・参加者ともに年々その数を増やし続けている。

 昨年のテーマ「ダイエット!CO2」から一歩進んで、今年のテーマは「もうできる!CO2 -(マイナス)50%のエコライフ」。10周年記念テーマでもある。

 10年前のCOP3、つまり京都議定書で決まった日本の目標値、6%削減をきっかけに「チームマイナス6%」等の動きが起こったが、先進国では2050年までに50%削減、が当面の目標となりつつある。そんなトレンドを反映したマイナス50%である。景気後退、経済不安の折りだからこそ、逆に結束して温暖化防止へ! そんなメッセージ性が感じられなくもない。

 主催者発表では、「750を越える出展者がこぞって、すでに実現可能なCO2-50%削減の生活スタイルと、未来の低炭素社会へのビジョンを具体的かつ一堂に披露」とある。東京ビッグサイト東棟のホール(1~6)を今回初めて全面的に同展で埋め尽くし、大々的にエコスタイルとエコライフが呼びかけられることになる。これだけの規模だと、展示会そのものの環境負荷が問われそうだが、http://www.eco-pro.info/eco2008/env/index.html にあるような配慮が一応なされていることは覚えておきたい。

 10周年ということもあって、今回は外国人向けの対応も、より充実が図られることになった。昨年まで英語による概要紹介やガイドツアーが行われていたところ、今年は中国語と韓国語が加わり、より多様な言語で環境コミュニケーションが図られる予定だ。(中国語・韓国語の案内文は、公式サイトにも掲載中)

 同展における英語対応で実績のあるジャパン・フォー・サステナビリティ(JFS)、JFSの提携企業であるエコネットワークス(ENW)と連携する形で、中国語・韓国語に関しては東アジア環境情報発伝所が受け持つこととなった。

 12月11日(初日)からの3日間は、10周年記念展示コーナー近くにサポートデスクを設け、個別の問合せに応じる。12日・13日の2日間は、広い会場をダイジェストで見て回ってもらうためのガイドツアーを11時から実施(約1時間、中国語/韓国語それぞれ)することにしており、リクエストがあれば、個別にブースを案内することも考えているところである。

 企画別の一覧は、http://www.b-navi.net/ecopro2008/events/list_plan.php の通り。これに一般出展が広々と展開される訳だが、家電・電子/素材/官公庁/金融/事務機/流通、日用品、容器・包装、食品/環境ニュービジネス/自動車・運輸/住宅・建築・建材/エネルギー、といった分野に大別され、関心に沿った見学ができるようになっている。(ガイドツアーでは、企画や分野ごとにひととおりの見どころを紹介していく形式を予定。英語・中国語・韓国語で説明できるスタッフを配置している出展団体もあるため、個別に見学することも可能。)

 日本における環境ビジネスの動向や最新技術にふれてもらうことがツアーの趣旨だが、世界の中で日本がどれだけ環境に貢献できているか(逆にできていないか)、参加者の自国と比較した時にどうか、環境に関する展示会としてのあり方はこれでよいのか、といった点を見てもらうことも想定しており、むしろ外国人来場者からアドバイスを得る方が多い可能性もある。中国・韓国からは、すでにツアーを組んで来場する話も届いており、期間中の盛況が予想される。(事前申込受付中!→ http://www.eden-j.org/ecopro/info.html 参照)

<エコプロダクツ2008>

●名称:地球と私のためのエコスタイルフェア~エコプロダクツ2008[第10回]
●会期:2008年12月11日[木]~13日[土] 10:00~18:00
   (最終日13日[土]は10:00~17:00)
●会場:東京ビッグサイト[東展示場 1~6ホール]
●公式ウェブサイト:http://www.eco-pro.com/
●出展数:750社・団体[予定](2007年出展数:632社・団体)
●来場者見込:170,000人(2007年:164,903人)

<2007年の英語ツアーの様子>
 http://www.japanfs.org/en/jfs/event/eco-pro2007/report2007.html

<2008年のツアーを担当するスタッフによるブログ~「エコプロダクツナビゲーター」>
 http://www.econetworks.jp/econavigator/

<ENVIROASIAでの過去の記事(エコプロダクツ関連)>
 http://www.enviroasia.info/news/news_detail.php3/J02121801J
 http://www.enviroasia.info/news/news_detail.php3/J03121702J
 http://www.enviroasia.info/news/news_detail.php3/J05122102J
 http://www.enviroasia.info/news/news_detail.php3/J07122101J

2002年のエコプロダクツでは、「環境報告書」が花盛り

この11のポイントは、10年間変わらない(「エコプロダクツ2000」ガイドブックより)

【筆者】冨田行一(TOMITA, Koichi) / 東アジア環境情報発伝所 / 寄稿 /  [J08110701J]
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