脱原発集会に4万人超の参加者

「いても立ってもいられなくて来た」。全国から脱原発を願う市民が集まった。

東京 東京明治公園で9月19日午後、行われた「脱原発集会」に4万人を超す人々が全国から参加した。ノーベル賞作家の大江健三郎さんがスピーチするとあって、日頃は「脱原発依存」に冷ややかなマスコミも各社、取材に駆け付けた。

 「反原発」を訴えて行動する俳優の山本太郎さんは、自らのツイッターにこう記している――『明治公園、すごい人!命を繋ぎたい、本気で生きてる人々が結集。仕事、体調で参加できない方々の分まで声を上げ歩くよ♪』

 集会開始時刻の午後2時に主催者が「参加者4万人」と発表した時、会場の明治公園に向かう舗道は人の洪水だった。公園は人で埋め尽くされ身動きがとれない。舗道も同様だ。参加者が4万人超であることは確かなようだ。

 最寄り駅の「都営大江戸線・国立競技場前駅」ですでに、人々の脱原発に賭ける意気込みが伝わってきた。電車がホームに到着すると家族連れや老夫婦が吐き出されてくる。ほとんどは会場までの道順を地図で確かめていた。政治集会のメッカである明治公園を知らないのである。デモや集会に参加するのは今回が初めてという人が目についた。

 千葉県船橋市の主婦(40代)も今回が初めてだ。「政府も東電もいい加減にしてほしい。スーパーで野菜を買う時、不安で仕方がない。マスコミと政府が一緒になって情報を隠したら、国民は何も分からない。ここに来て同じ気持ちの人たちに会えて嬉しい」。

 愛知県三河地方から駆け付けた母娘も、政治集会への参加は初めてだ。娘(20代前半)は「まだ独身だが、将来子供を産むことを考えたら原発は怖い。マスコミと政府は何を考えているのか分からない」と率直に話した。

 母親(40代後半)は原発に対して積年の恨みがあるようだった。「『核爆弾は反対』でも『原発なら構わない』という変な論理があった。原発は核廃棄物の処理ができないのに、(国民は)反対してこなかった。もの分かりが良すぎた。大人が無責任だった。生きている間にこれだけの大集会はもうないかもしれないので、『原発反対』の意志を表明しに来た」。

 東京都豊島区から足を運んだ会計事務所員(男性・70代)の言葉が、象徴的だ。「いても立ってもいられず参加した。マスコミが作っている多数意見は架空のもの。国民の声はここに集まっている人々が代弁している。政府は草の根の声に耳を傾けるべきだ」。

 年明け早々の1月、エジプトでは普通の人々がムバラク政権打倒を叫んでタハリール広場に結集した。洪水のように明治公園に押し寄せるオジサン、オバサン、親子連れを見て、筆者の目には「エジプト市民革命」の光景が重なった。

 枝野幸男経産相は大臣就任会見(12日)で「脱原発なのか原発推進なのか」を記者団に聞かれ、「国民的議論を見て」と答えた。

 政・官・財に操作されたマスコミ論調が世論ではないことに、国民はすでに気づいている。4万人を超える人々が明治公園に集結し「脱原発」を叫んだことが何よりの証だ。

夏と変わらぬ太陽が容赦なく照りつけたが、会場は「脱原発」を求める人で埋め尽くされた。(19日午後、明治公園。写真:筆者撮影) 

東電と政府の責任を問うプラカードがいつものように目についた。(19日午後、明治公園。写真:筆者撮影)

ステージに上るノーベル賞作家の大江健三郎さん。大江さんがスピーチするとあって日頃は「脱原発デモ・集会」に冷淡なマスコミ各社が、取材に駆け付けた。(筆者撮影)

【筆者】田中 龍作(TANAKA, Ryusaku) / 田中龍作ジャーナル(Tanaka Ryusaku Journal) / 田中龍作ジャーナルより転載 /  [J11093001J]
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東日本大震災被災地訪問(2)

大自然のエネルギーがどれほど巨大なのか、私たちには想像し難い。

宮城 宮城県に向かう道中、最も多く目にしたのは水田だった。稲穂はまさに実りつつあり、マスクを付けた人や仰々しいいでたちの人はいなかった。ただ時折、屋根にブルーシートをかけられた家があった。地震のときに壊れたのだ。それでも、人々は静かに和やかに暮らしていると感じられた。しかし、車が海辺に近づくにつれ、道沿いの家のようすは恐ろしいものに変わっていった。「十室九空」(訳注:人々が大量死もしくは逃亡したあとの荒涼とした様子)という言葉が頭に浮かんだ。それらの家はすでに打ち捨てられ、崩れ落ち、1階は津波に流され、2階だけになった家もあった。

 伊勢さんは、山元町立山下第二小学校へ私たちを案内してくれた。人っ子一人いないホールに佇み、今はまさに新学期であることに思い至り、もとはあまり好きではなかった学校の騒がしさを強烈に懐かしく思った。学校の騒がしさこそが、学校のあるべき正常な状態であることを、今初めて意識したのだった。学校は、幼い、喜びに満ちた生命が集まる場所。しかし私たちの目の前にあるのは、生命のない、廃棄された建造物だった。

 それでも私は、生徒と先生たちの日々のさまざまな名残を見つけた。階段には、1段目にりんごが1つ、2段目には2つ、3段目には3つ、描かれていた。10段目には10個で1箱になり、それからまたりんごが11個、12個・・・・・・。先生たちはなんと細やかな心配りで数というものを教えていたことか!教室内に掛けられていた時計の針は、津波が発生した時刻14時46分で止まっていた。これを見た人は誰でも無言の恐ろしさ感じるだろう。  

 2階のベランダで、伊勢さんは程近い海辺の防波堤と高い木の茂る林を指差して言った。「ここの人たちは防波堤の内側に沢山の木を植えました。木は大きく育って、美しい風景を作り出し、養老院がここに建てられたのです。あのきれいな色の平屋が養老院です。そこで暮らしていたお年寄りと、美しい風景に引かれて休暇を過ごしに訪れていた若い人たちは、ほとんど津波に呑まれました」。伊勢さんによれば、この地は1000年前にも津波に襲われていたが、人々はその記憶をとうの昔に忘れ、次第に海の近くに住むようになっていった・・・・・。大自然は再び、無情なやり方で人々を戒めた。この大災害ののち、このあたりの海辺は、すでに居住禁止となった。人々は海がその威力を示したときのために、海辺から一定程度の土地を明け渡すことになるだろう。

 もし伊勢さんの説明がなければ、私はこれがマンホールだとは、永遠にわからなかっただろう!地震により、こんな高さまで地面から浮き上ったしまったのだ。マンホールが壊れてしまったため、住民たちは下水道が使えない。全てが修復されるまでには、6年の歳月が必要だという。時間がかかるわけは、工事が大規模という理由だけではない。より重要な理由は、被災地の労働力不足だ。修理が必要な家や墓地が多すぎて、いつまで待てば順番が回ってくるのか、誰にもわからない。被災地の生活再建には、長い時間がかかるだろう。そしてそれは、私たちには想像もできないような困難に満ちたものとなるだろう。

 被災地での2日目、伊勢さんは私たちを松島市の民間の高齢者グループホームに連れていってくれた。はじめて被災地の一般家庭にお邪魔したのだ。理事長の伊藤寿美子さんは、玄関の上部を指差し、この高さまで津波の水が来たのだと語った。その日は、一日中そうやって水が来た高さを見る動作を繰り返し、時には2階においても同じように上を見上げた。そこからも、津波がやってきたときの恐ろしさを知ることができた。しかしながら、実際にそこに身をおいていた人々、特に高齢の入居者は、どのように耐えたのか。

 伊藤さんは言う。ここには34人の入居者と、ほぼ同じ数のスタッフがいた。地震発生後、伊藤さんは学校に孫を迎えにいこうとしたら、門の外に波が迫っていたのですぐに逃げた。地面より高くなっている鉄道の線路が第二の防波堤となって、彼女たちを救ってくれたのだ。しかし目の前の水の中に流されてきた人を見つけても、助けることができなかった。自分も恐ろしい思いをしたのに、人からも責められる。生き残っただけでも大変だったのに、災害後の生活はさらに厳しい。3回の余震からも生き延びた入居者たちの表情は疲れ果て、無表情になっていた。

 つらい経験をした彼らは夜もよく眠れないという。伊藤さんは入居者たちの様子に胸を痛めるが、今はまだ、経営者として、より安全な住処と基本的な食事の確保などの具体的な仕事に心血を注いでいる。今の辛さをあまり話したくないのか、伊藤さんは私たちに沢山のアルバムや切抜き帳を見せた。そこには、災害発生後4日間の生活が細かく記録されていた。たとえば、壊れたグループホームが、全国から集まったボランティアにより段々と修復されていく様子。毎日違う人が作業をし、少しずつきれいになっていく。しかし、ここが今でも修復中であることは、容易に見出せる。たとえば私たちが座って話しをしているこの大きなテーブルは、それぞれ違ったデザインの4つのテーブルをくっつけたものだ。私はそれぞれどこから来たものなのか、もとの家はなくなってしまったのか、とは聞かなかった。となりの部屋は、屋根の下に木の枠組みがあるだけで、床板がなく、地面が見えていた。修理の順番待ちなのだ。

 ある部屋はあきらかに入居者の部屋だったとわかったが、車椅子がまとめて置かれていた。2階には、ボランティアたちが泊まっていた。入居者たちは現在、ホームの向かいにある伊藤さんの息子さんの家で暮らしている。将来大地震が来ると言われていた中、昨年新築したその家は非常に堅牢に作られており、土台は地面より80センチ高い。私たちが伺ったとき、みなさんのほとんどは大きなテーブルを囲んで座り、手工芸をしていた。隣にいたお年寄りには、ひとりの専従スタッフがついて世話していた。みなさんは私たちを歌でもてなしてくれた。歌詞は中国の養生の歌のようなものだった。

 家の前の庭には、草花が大いに茂っていたことに私は殊更興味をひかれた。さまざまな大きさと色合いの花は、人々に生活を再建するという希望を与え、大災害のあとの傷つきやすい心の慰めとなっただろう。最も印象深かったのは、伊藤さんだ。彼女は、自分はお年寄りの世話をする仕事が好きなのだと言う。伊藤さんが無事に災害後の生活を切り抜け、できるだけ早く再建を果たされるよう、遠い北京からお祈り申し上げる。

【筆者】康 雪(KANG, Xue) / 自然の友(Friends of Nature) / 寄稿 /  [C11092801J]
【翻訳】中文和訳チームC班 松江直子]]>

北京市民が“エコ家庭”にチャレンジ(1)

21世帯が使用するエネルギー消費量を3分の1まで減らすことははたして可能なのか。

北京市 中国のある環境NGOは家々、人々に声をかけながら、環境に優しい首都づくりの任務を担っている。周維は今回、この活動の第1ステージに参加してみた。彼らの目標は21の家庭が使用するエネルギー消費量を3分の1まで減らすというものなのだ。

 我々が乗った車がとある古ぼけた家の前に止まると、自然の友でプロジェクトの取りまとめを務める陳婉寧は、3階に見える窓辺に向かって声を弾ませた。「ここは今回、“エコ家庭”プロジェクトに参加する家庭なのです。」彼女が指さす方向に目をやると、我々は新しく付けられたばかりのステンレス製の窓枠が目に飛び込んできた。そして窓枠の外側には緑あふれる植物に彩られた鉢が備え付けられており、大半が錆だらけの窓枠のなかで、ここだけが異彩を放っていた。

 今年の夏、北京の21家庭が自然の友が主催した“エコ家庭――心地よい暮らしには良い住環境を、良い住環境には省エネを”という活動に参加。それぞれの住宅において、CO2削減に向けた試みを行った。自然の友は選考のうえで、低炭素、省エネに向けた各家庭の取り組みをサポート。彼らに対して最大1万元の補助を出す。あわせて温度計、メーターでもって各家庭における取り組み前後のエネルギー消費量などを計測してもらい、省エネ30%の目標を助けるというものだ。目下のところ、各家庭の取り組みは出口の段階に入っており、自然の友プロジェクトチームの実地調査も始まった。

 今回の活動に参加した家庭の多くが老朽化した昔ながらの住宅に暮らしており、これらの建物の外壁、窓の保温性は低い。冬は寒く夏は暑いため、エアコンにかなりお世話となり、エネルギー消費量も大きい。このため、まずは防音・保温性のある窓を21の各家庭に取り付けることから始まった。

 地理の教師を務める王信センの家は、通りに面した複数階建の古い集合住宅の中にあり、部屋には窓がたくさんある。元々の古い窓は、わすか1枚のガラス張りによる鉄格子のもの。冬はとても寒かった。窓は熱を遮断しないばかりか、音が筒抜けだった。たとえすべての窓をしっかり閉めたとしても、通りを走る車の音がはっきりと聞こえるほどだ。そこで、王信センは“エコ家庭”プロジェクトに参加する複数の家庭と共同で、オンラインでしっかりした材質であるステンレス製の窓枠を購入。窓の価格は通常の2~3倍となった。ただ、王信センは非常に満足していた。彼女は我々に窓の防音・保温効果を得意げに語った。「十分おつりがくる値段。冬は暖かいし、来年の夏もエアコンを購入する必要がないですよ。この窓を設置してから風通しがよくなり、熱を遮る効果も試してみたいわ。」

 自然の友の副総幹事を務める張嚇嚇はこう付け加える。部屋の保温性を改善する点においては、順義区に住む孔慶海の家が最も目覚ましい効果がみられたのだと。孔慶海は平屋建てに住み、冬は暖房のために自ら火を焚く必要があるなど、条件は整っていなかった。彼は“エコ家庭”プロジェクトに加わると、内外壁の保温性や屋内の空調システムなどを自ら設計・改良していった。元々、この家の改修を進めるにあたり、プロジェクトチームはこれほどの状況にある家を引き受けて良いものか悩んだほどだ。結局、チームは別の家庭の平屋建てを含めて、孔慶海の家の改修に着手。完了後、チームのメンバーは驚きと喜びのなかで、平屋建てには大きな改修効果があることを知った。なぜなら、彼らは自ら火をくべて暖を取るために、省エネの余地も大きいのである。“省エネと同時に生活水準も上げる“、これは”エコ家庭“プロジェクトが一貫して掲げるポリシーだ。

 王信センの家では暖房として木製のラジエーターが使われていた。10~20年前では、これは中国の都市に住む家庭では流行しており、整った、趣のある雰囲気を醸し出していた。しかし、これでは熱が小さい空間に閉じ込められてしまい、無駄に熱量を消費してしまうという欠点もある。張嚇嚇はラジエーターを指しながら、「これは一種の“美しき誤解”だったと振り返る。これも王信センの家において改めた箇所の一部だ。彼女は外側の箱を取り外し、旧い暖気を用いた懸架装置の方式にした。「低炭素プロジェクトやグループでの活動を通じて、私は多くの低炭素向け設計における啓発を受け、多くのことを学んだ。さらに省エネ家電についての理解も進んだ」、こう王信センは語る。

 実際の改修にあたる前に、自然の友は参加する各家庭に対して、前もって2カ月余りの研修を行った。その名も“低炭素セミナー”。建築上の省エネに関する講座、節水に関する展覧会の観覧、庭園設計など。自然の友はまた各家庭の家主に省エネ建設の専門家を紹介。家庭ごとに具体的なアドバイスをもらった。王興華の家では専門家の意見を採用し、客間にある木の仕切りを改造。部屋の中の日当たり、風通しを改善させ、客間での照明の使用時間を減らした。彼女はまたアドバイスに従い、寝室に簡単に閉じられる麻製のカーテンを設置。西日を防ぎ、部屋でのエアコンの使用量を減らしたという。

【筆者】周 維 / 『中外対話』 / 転載 /  [C11092802J]
【翻訳】中文和訳チームB班  畦田 和弘]]>

東日本大震災被災地訪問(1)

短時間ではあったが、そこで見聞きしたことは深く脳裏に刻まれ、多くのことを考えさせられ、私たちに行動を起こさせた。

宮城 日本での“東アジア気候フォーラム”に参加した折、李力と私はフォーラム終了後、東北の被災地である宮城県へ赴き、2日間の視察を行った。短時間ではあったが、そこで見聞きしたことは深く脳裏に刻まれ、多くのことを考えさせられ、私たちに行動を起こさせた。

 9月4日午前、東アジア環境情報発伝所のボランティアである通訳の洪石峰を伴い、私たちは東北行きの新幹線に乗った。地震の後、放射能漏れにより有名になった福島を通過する時、窓の外の世界には何も変わったことを見出すことはできなかった。空にも、建物にも、あぜ道にも…。ただ、私の鞄の中には一枚の紙が入っている。それには北京を離れる時に新華社が発表した福島の放射能の指標に関する最新の報道が印刷されており、それは私たちにそこに確かに存在する危険を示していた。

 70歳の伊勢さんはすでに目的地の宮城県白石市の駅で待っていた。彼は、長年環境教育に携わっている李力の友人である。地震が発生した時、伊勢さんはちょうど中国にいて環境教育活動に参加しており、家にいる夫人とペット、家のことなどをしきりに心配していたことを私はお会いする前に知っていた。やっと故郷に戻った後も、彼は夫人を家に置いたまま、2ヶ月間ずっと災害ボランティアとして活動していた。その伊勢さんのご尽力により、私たちは今回の訪問を実現することができた。地元の名物である短い麺をいただいた後、伊勢さんは車で私たちをボランティアの活動拠点に連れて行ってくれた。

 白石市山元町の災害対策本部。地震によって倒壊の危険があると判断されたため、山元町役場はすでに無人となっていた。門の前の広場には臨時のJRの駅があるものの、地震と津波によって線路が損傷を受けたためにJRは運休しており、現在は電車の代わりにJRバスが運行している。駐車場に止まっている車には、全て“山元町災害福祉協議会”・“災害復興支援”などの文字が書かれており、ここで活動を行っている人々は皆、災害復興業務に関わっている人々であるということを表している。屋外に設置されたテントでは、ボランティアたちが物資を整理したり配ったりしていた。私たちが主に見学したのは、ボランティア達による写真整理業務である。

 写真整理をしているボランティアの溝口佑爾さんは、私たちにそれらの写真がどこから来たかを教えてくれた。彼は京都大学のIT専攻の大学院生であり、4月下旬からボランティアとしてここで活動している。これまで心血を注いで来た被災地の写真の整理を諦めることができず、新学期が始まってからもここに留まりボランティアを続けている。彼の左腕の腕章には「日本社会情報学会」と書かれている。この業務はすでに経済的な援助を受けた研究活動となっており、彼は自分の持っているIT技術を、思い出の保存と未来への展望に生かしたいと望んでいる。彼らは辛抱強く念入りに自衛隊が集めて来た写真を洗浄・分類・コピーしてパソコンに入力、人々が検索できるようにし、写真は持ち主に引き取られるのを待っている。あるとき、災害時に妻と娘を失い、遺体をまだ見つけることができないという男性がここで家族の写真を見つけた。“これで妻と娘の墓参りをすることができる”と言ったこの男性の言葉を聞き、溝口さんは、この人はこの写真をきっかけに、前向きに一歩前進することができたのだと感じた。また、(かなり痛んだ)一枚の写真は、人物の腕だけが残るのみだったが、それでも持ち帰る人がいた。この時、溝口さんは大きな衝撃を受け、自分の活動には大きな意義があると感じた。

 ちょうど私たちがそこで見学をしているとき、二人の人物が何冊かのアルバムを引き取るのを見ることができた。地震と津波から半年も過ぎてからである!何冊かのアルバムの中身は、全部結婚式の写真だった。その時、私たちはこの一家のために祈り、溝口さんと彼の仲間たちの苦労が報われたと感じた。これらの名前もわからず、もしかしたら永遠に誰にも引き取られて行かない膨大な量の写真を手に取り、私たちは溝口さんとその仲間達のここでの活動の理由と、これらの洗浄された写真に記録された持ち主のかつての喜びや成長、栄光や幸福などを感じ取った。そして私は心の中で、写真に写っている鮮やかな命、彼らはまだ存在するのだろうか?と人知れず思った。そして写真というものが持つ意義に対し、新しい認識さえ得るに至った。人の生活や命の営みにおいて、写真は記憶に等しく、記憶は命に等しいのだ。

 当然、思い出は写真の中だけにあるわけではない。大きな棚の中には、多くの回収された物品が保管されている。半年を過ぎても、未だ引き取り手のないさまざまなものがある。小学生のランドセル・テニスラケット・トロフィー・東北地区の名産であるこけし・位牌や財布など。財布は拾われた時には空だった!と溝口さんは語った。人間の別な一面が、ここから垣間見える。

 伊勢さんの案内により、私たちは思いがけず一つの部屋に入ることができた。ここは当地の特産品であるりんごの名前をつけた、震災後10日で放送開始した“りんごラジオ”放送局である!運よく、私たちは目の前で彼らの生放送の様子を見ることができた。自分も放送に携わっているため、私はラジオ放送局に対し、人一倍親近感を持っている。確かにここは私が訪れた中では最も小さなラジオ放送局ではあるが、だからこそ、本来なら退職した後、この地で老後を楽しんで暮らしているはずであった高橋厚さんと彼の同僚に深く敬意を表す。彼らの活動から、人々は皆、自身の長所を生かして他人を助けることができるということを知ることができた。この狭い空間の中で、この数ヶ月の苦しい歳月の中、彼らはどのような奇跡を起こし、被災地の人々を慰め、鼓舞して来たのだろうか?彼らの活動を邪魔することを恐れ、私たちは多くを聞くことができなかったが、壁に貼られたたくさんの写真やメッセージからそのいくつかを感じることができた。私はラジオ放送局のために贈り物を持って来なかったことを大変残念に思った。また機会を得て、彼らのために何か協力できることを望んでいる。

【筆者】康 雪(KAN, Xue) / 自然の友(Friends of Nature) / 寄稿 /  [C11092102J]
【翻訳】中文日訳チームC班 富川玲子]]>

環境保護団体、雲南省曲靖市中級人民裁判所にクロム・スラグ汚染事件を公益訴訟

曲靖市中級人民裁判所は自然の友が提出資料を受取り、7業務日以内に受理するかどうかの判断を示すと表明

雲南省 2011年9月20日、民間環境保護団体自然の友と重慶緑色ボランティア連合会は、雲南省曲靖クロム・スラグ汚染事件を曲靖市中級人民裁判所に公益訴訟した。

 20日午前、自然の友市民参加プロジェクト責任者の楊洋、自然の友武漢グループ責任者で盈科法律事務所武漢分所共同経営者の曾祥斌弁護士を含む「雲南省曲靖クロム・スラグ汚染事件公益訴訟原告団」メンバーは、曲靖市中級人民裁判所に対し、訴状および証拠等の訴訟資料を提出した。曲靖市中級人民裁判所は、自然の友が提出した資料を法に基づいて受け取った上で、法規定に則り7業務日以内に受理するかどうかの判断を示すと表明した。

 訴状によると、雲南省陸良化工実業有限公司と同省陸良和平科技有限公司の両社が被告、曲靖市環境保護局が第三者に挙げられている。提出された訴訟請求は次の6項目。

1.被告は直ちに侵害を止めること、つまり環境を汚染するクロム・スラグを違法に放置している行為を直ちに停止すること、
2.被告は直ちに危険を除去すること、つまり適切で有効な措置を施し、すでに傾き崩れているクロム・スラグの山が環境に及ぼす汚染被害を徹底的に除去すること。また、採用される汚染被害の除去措置は、法に基づいて評価するよう第三者機構に委託すべきであり、社会に対して関連情報を公開し、原告および第三者の監督を受けること、
3.被告が損失を賠償すること、つまりクロム・スラグ汚染が原因の環境損失(暫定額で1000万元、具体的な金額は司法が示す評価報告に準拠する)を賠償すること。また、第三者が特別に設立するクロム・スラグ汚染からの環境生態の回復を目的とした特定項目公益金口座に賠償金を支払い、原告などの環境保護組織や裁判所、および第三者が共同で管理監督する下で、被告が損害を与えた生態環境を整備および回復するためにこの賠償金を使用すること、
4.被告は、本件の訴訟および執行で発生する原告側の費用を負担すること、その費用には出張旅費、調査・証拠収集費、評価鑑定費、専門家の招聘費(暫定額で5万元、実際に発生した額に準拠する)が含まれる、
5.被告は、本件に関わる訴訟費用を全額負担すること、
6.両被告は原告のすべての訴訟請求に対し、連帯責任を負うこと。

 詳しい内容については、下の連絡先まで。

 自然の友市民参加プロジェクト責任者 楊洋:13241820100 yangyang@fonchina.org

 自然の友武漢グループ責任者 兼 盈科法律事務所武漢分所共同経営者 曾祥斌:

 13387505515 zxbls@126.com

 特記事項:両名とも現在は雲南におり、電話に出られないことがあります。何度かお電話いただくか、ショートメッセージでご連絡ください。

【筆者】竇 麗麗 / 環友科学技術研究センター / 寄稿 /  [C11092101J]
【翻訳】中文和訳チームB班 棚田由紀子]]>

「原発にさようなら集会」にお集まりください

自然エネルギーを中心とする「持続可能な平和な社会」にむかうために行動します

東京 3月11日の東日本大震災によって、東電福島第一原発は、1号炉から3号炉までが最悪事態の炉心溶融(メルトダウン)を引き起こしました。水素爆発、工場外壁の破壊などによって、高濃度の放射性物質が、海水、大気、土壌に放出され、環境を汚染するという未曾有の大事故となりました。

 2ヶ月がすぎても原子炉の暴走は収束する気配がなく、いまなお極めて不安定な状況がつづいています。これまでの放射性物質の拡散量だけでも、地域の住民と労働者ばかりか、まだ生まれていない将来の子どもたちの健康と生命にとっても、計り知れない悪影響を与えると危惧しております。

 原子力と人間の共生など、けっしてありえないことなのですが、それに気づいていながらも、私たちの批判の声と行動があまりにも弱かった、と深く悔やんでおります。

 いま原発を拒否する声はさまざまな運動となって拡がっていますが、わたしたちはこれまでの怠慢を反省し、政府や財界や電力会社などが、原発推進の巻き返しにでないためにも、さらに大きな市民の力で、原発依存の生活から脱却する道をあゆみだしたい、と念願します。

 わたしたちは、自然を収奪し、エネルギーを無限に浪費する生活を見直し、自然エネルギーを中心とする「持続可能な平和な社会」にむかうために行動します。その目標です。

新規原発建設計画の中止
浜岡からはじまる既存原発の計画的廃止。
もっとも危険なプルトニウムを利用する「もんじゅ」、「再処理工場」の廃棄。

 これらを実現して、わたしたちの生存と未来の子どもへの責任を果たします。

 「原発にさようなら集会」を、つぎの要領で開催いたします。どうか皆さんでご参加ください。

日時……2011年9月19日 13:00~
場所……東京・明治公園
集会規模……5万人(集会後、パレードがあります)

集会呼びかけ人

内橋克人(うちはしかつと)
大江健三郎(おおえけんざぶろう)
落合恵子(おちあいけいこ)
鎌田 慧(かまたさとし)
坂本龍一(さかもとりゅういち)
澤地久枝(さわちひさえ)
瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)
辻井 喬(つじいたかし)
鶴見俊輔(つるみしゅんすけ)

参考:大江健三郎さん、鎌田慧さん~講演会「さようなら原発」 動画 http://youtu.be/I4QLfcG0oRk

さようなら原発1000万人アクション、脱原発・持続可能で平和な社会をめざして

【筆者】「さようなら 脱原発1000万人アクション」実行委員会 / 「さようなら 脱原発1000万人アクション」実行委員会 / 転載 /  [J11091601J]
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「東アジア気候フォーラム2011」<福島原発事故問題報告>を聞いて

私たちの教科書には驚愕するような日本で起こった各種の公害事件が列挙されているが、実践において前例が教訓とされることは多くない。

東京 中国の環境保護に携わる人が日本から学ぶことは避けられないことであり、日本の発展から経験を得たいというのはごく自然な理由である。参考にする上では、環境政策、クリーン生産制度、先進的な環境保護技術、ごみ分別など、日本が突出して優れているプラスの経験が強調されている。しかし、プラスの経験の習得に比べ、中国人に足りないのは、日本の環境保護の歩みの中における数多くの教訓に対する認識である。私たちの教科書には驚愕するような日本で起こった各種の公害事件が列挙されているが、それらを深く考察し、さらに実践において前例が教訓とされることは多くない。

 現代中国人は、日本で発生した数々の環境被害を警戒するだけでなく、これらに含まれる環境保護の変革要素も重視すべきである。この要素の中で最も重要なのは一般市民が環境問題に対して長期にわたり反省と行動を怠らずに続けていることである。例えば、水俣病公害事件の被害者は数十年にわたり抗争を続け、2010年にはついに当時の首相である鳩山由紀夫を自ら現地へ向かわせ、国の責任であることを認めさせた。大阪西淀川地区の住民も同様に長年にわたって権利を訴え続け、汚染した側の謝罪と賠償を獲得し、さらに被害者の弁護士が代表して管理する環境保護基金会を設立した。最近では焼却場汚染に反対する14年にわたった長い訴訟で勝利判決を得た。今日、福島第一原子力発電所被災地の住民たちから聞こえてくる声は、日本が環境被害の中で育んできた積極的変革を再度、明らかにしたものである。

 まさに、「負けねど飯舘」常任理事の佐藤健太さんがおっしゃった通り、メディアの福島第一原発事故に対する報道は全面的なものではないという点について、我々中国側も同様に感じていた。中国のテレビメディアがこの事件の報道をする中で、我々がよく目にしたのは、中国の核技術専門家と日本の核技術専門家の観点と評論であった。これは、技術官僚による社会統治の典型である。では、技術官僚によって社会が単一的に統治されて良いのか?私の答えはNOである。

 福島老朽原発を考える会の阪上武さんと飯館村で酪農を営んでいた長谷川健一さんのお話を伺った際、私の中で最も響いたのは「リスク」という言葉であった。今年の夏、中国国内で、あるシンポジウムに参加した。それは、環境健康をテーマとし、多学科(例えば環境科学、社会学、心理学、経済学など)の優秀な学者が共同で参加したものであった。シンポジウムの中で学者たちが有した最大の共通認識は、我々が現在直面している環境健康問題の多くは、リスク管理あるいは対応問題の一種であるということであった。私たちが「リスク」という言葉をあえて使用する時、実際には科学的視点から環境健康問題の不確定性と複雑性を認識し承認しているのである。

 今日の大部分の環境健康問題は全て残留汚染物、例えば重金属や残留性有機汚染物、放射能などによるものであることは明らかである。それらを管理するため、科学者たちには政策決定者の「安全限界値」や「許容値」提起に協力する責任がある。しかし、過去数十年間、我々に馴染の深い多くの残留汚染物、例えばダイオキシンやベンゼン、アスベスト、電離放射線などの「安全限界値」や「許容値」は、修正や引き下げが繰り返されている。では、なぜ今日の科学者たちがこれらの値を提起した際に、それが必ず「正確」であると保証できるのか?私は決して、科学者たちがリスク対応に関する意見と予測を述べるべきでないと言っているのではない。しかし、科学者たちは常に慎重な態度を保って、科学そのものの限界を考慮すべきだと思う。

 阪上さんと長谷川さんが話された内容は、如何にしてリスクの制御と管理を行うか、ということに対し大変参考になるものであった。まず、長谷川さんは大学教授、地方政府の楽観的リスク評価に警告と疑問を投げかけ、リスクに対応する過程において、専門家ではないが問題に対し厳しい見方を持つオブザーバーや調査員の意見は非常に重要であるとした。阪上さんは彼らの専門性による、多元化された専門的討論は問題の全面的な認識に役立つとした。同じデータに対して、科学者たちはそれぞれの見解をもつ可能性があるからである。この他、リスクの認定は決して純粋な科学の問題ではなく、それは社会学や心理学などの領域にも及ぶため、その他の領域の専門家の意見も大変重要であるとした。

 長谷川さんは、地方政府による真相の隠蔽に触れ、リスク対応における情報公開の重要性を訴えた。数年前、私は中国国内で持久性のある有機汚染物に関する学術フォーラムに参加した。フォーラムでは、ある学者が40年前の胶州湾有機塩素農薬汚染に関する研究結果を紹介した。彼が発表を終えた後、聴衆が提起した問題点は、発表の中の科学的問題ではなく、「なぜ、この研究が今になって公開されたのか」ということであった。技術官僚が環境情報の公開を非常に恐れているのは、一般市民が科学研究を誤解、歪曲するのではないかと考えてるからである。私は、このような心配は全く必要ないと考える。一般市民の一時の誤解と比べ、情報公開をしなかったために引き起こされる環境被害の修復の遅れが社会にもたらす代償の方が遥かに大きいからである。

 「参加者の多元化により問題に対するより深い認識を得ることができるが、どのように解決するかは依然として困難である」と何名かの日本の講演者の方が述べていたが、これについては私も経験がある。ある日本のごみ管理の専門家が私に、震災の被災地が大量のごみ処理問題に直面した時、本当に有効な手だては非常に限られていた、と語ったことがあった。この問題をどのように解決するか、すぐに答えは出ないが、問題に対し多方面からの意見を求め続けることで、良い結果を得られるのではないかと考える。

 最後に、社会環境の違いにより、中国の環境保護ボランティアや汚染被害者が災難の中から正当な権益を勝ち取り、環境管理の現状を改善する努力は日本に比べさらに困難であるが、日本の数多くの負の経験の中からそれに勝る教訓を得て、今後の糧としたい。
ご清聴、ありがとうございました。

【筆者】毛 達(MAO, Da) / 環友科学技術研究センター / 投稿 /  [C11091401J]
【翻訳】鈴木清恵 ]]>

中国環境NGO、日本で東アジア気候フォーラム2011に参加

東アジア気候フォーラムが東京で開催され、日中韓の環境NGO代表や専門家が東アジアのエネルギー問題について話し合った。

東京 2011年9月2日、東アジア気候フォーラムが東京国立オリンピック記念青少年総合センターで開催され、日本・中国・韓国3ヶ国の環境NGOや専門家が東アジアのエネルギー問題について話し合いました。

 会議に参加した11名の中国代表は、環友科学技術研究センター李力氏、自然の友の康雪氏、緑色和平中国気候変動プロジェクトの李雁氏、河南新郷市環境ボランティア協会会長田桂栄氏、淮河衛士の霍敏傑氏、重慶緑食ボランテイア連合会呉虹氏、北京師範大学博士后毛達氏、中国農業大学資源環境教授孫英氏、NRDC北京事務所シニア顧問楊富強氏、CANGO顧問施龍(Patrick Schroeder)氏、CCANメンバー畢欣欣氏。それぞれ「エネルギーの安全性に関する10の問題」、「中国の再生可能エネルギー法と再生エネルギーの発展状況」、「中国:低炭素社会へ向けた地域と市民の活動」について発表しました。

 代表団は、福島の住民3名による「福島原発事故・現地からの報告」及び環境運動家田中優氏による「3・11で分かった日本の姿」等の特別報告を拝聴しました。メディア報道で3・11の被災状況を知ってはいたけれど、実際に被害に遭った現地の方々のお話を聞いて、災害の中から人類の未来の健全な発展の道を探るという今回のフォーラムの開催意義を再認識しました。

 各代表は、中国・日本・韓国の3カ国のNGOメンバーと専門家による、「エネルギーの安全性を考える」「再生可能エネルギーのシフトへの課題」「低炭素東アジア実現への道」という3つのテーマに関する発表に真剣に聞き入り、日・韓両国の、脱原発への危機感と代替エネルギー研究状況、環境NGOと研究機関による再生可能エネルギーと新しいエネルギー関連の研究及び政策制定分野での活動、また低炭素社会実現の為に現在行っていることとしなければならないことについて理解を深めました。フォーラムの内容は充実したもので、我々は多くを学び、色々と考えさせられ、日韓両国の気候問題に関する理解は深まり、今後の更なる協力の為の基礎となるものでした。

 会議日程が詰まっており、発表についてフォーラム上で当日意見を交わすことはできませんでした。おそらく1日目に学んだことを消化する時間が必要だったためか、2日目は埼玉県小川町の有機農業見学が組まれており、理論から実践へと移行し、バスに乗るなりすぐに皆交流を始めました。

 韓国の光州で知り合った友人、生活工房「つばさ・游」の高橋遊子氏が案内役を務め、郷土に根付き、エネルギー再利用を考慮した家屋建設、廃食油燃料の利用、堆肥等、再生可能な資源利用の道を探り始めた霧里農場を見学しました。

 見学中に子牛が誕生し、このツアーのハイライトとなりました。興奮した代表の中には写真を取ろうと近付く人もいて、高橋氏に止められていました。確かに出産中に見知らぬ人が入って行けば子牛を怖がらせるだけでなく、母牛もびっくりして乳の出が悪くなるかもしれません。

 一同は、農場の発展を心から祈り、現地の晴雲酒造を見学した後、晴れたり曇ったりの天気の中、桑原氏のバイオガスプラントを見学し、日本で唯一のバイオガス発電機を見、その真剣かつ細やかな仕事について見識を深めました。バイオガスは各地で農村が実践している有機生活の一部分であり、各国間で実践に多少の違いはあるかも知れないけれど、資源の再生利用の道を探り、自然を永続させるという点では一致しています。

 中国代表団の中には農村から来た参加者、大学の専門家や、農学の知識を持った参加者もいて、それぞれの見学の感想が異なるのは当然ですが、私自身はというと、高橋氏の自信と決心が最も印象に残りました。高橋氏は、小川町の実践を全世界に広めたいと皆と別れる際に何度も話されていました。このような気概のこもった言葉が、やさしい微笑みをたたえたなごやかな農村の女性の口から語られたことに非常に感銘を受けました。世界を変えるのは、高橋氏や桑原氏のように地に足のついた仕事をする人の真心だと思います。彼らに敬意を表します。

 今回の会議では前回のような宣言はありませんでしたが、更に連携を深め、低炭素東アジア実現の為に共に貢献したいと思っています。一緒に頑張りましょう!

【筆者】康 雪(KANG, Xue) / 自然の友(Friends of Nature) / 寄稿 /  [C11091402J]
【翻訳】中文和訳翻訳チームA班 野口順子]]>

日本の大気汚染裁判が簡単にわかるホームページが開設

ホームページ「記録で見る大気汚染と裁判」で公害反対運動が果たした役割が分かる

大阪 「公害経験を伝えたい」という公害患者の願いに応えるべく、あおぞら財団では西淀川・公害と環境資料館を運営し、資料の整理や公開を行ってきた。このたび、独立行政法人環境再生保全機構の事業として、日本の大気汚染裁判が簡単にわかるホームページを作成した。大気汚染裁判の概要がわかる上に、各地の裁判についてどこに行けば詳しく勉強できるのかもわかるように連絡先を記載している。また、西淀川公害と全国の反対運動に関しては、資料をホームページ上で公開している。

http://nihon-taikiosen.erca.go.jp/taiki/

■各地の情報がわかる

 大気汚染公害裁判を起こしたのは四日市・千葉・西淀川・川崎・倉敷・尼崎・名古屋南部・東京の7地域である。7地域の裁判の概要が一目でわかり、かつ、それらの資料がどこに保存されているのかがわかるようにした。

■資料検索ができる

 西淀川・公害と環境資料館(エコミューズ)には約32,000点の資料を所蔵しているが、その中から6,000点の検索が可能となった。6,000点のうち、900点はPDFファイルで資料を閲覧できるようにしている。

■画像を押せば資料が読める

 西淀川公害の裁判資料(訴状、書証、準備書面、証人調書、判決、和解調書)をホームページ上で読めるようにしている。その上、裁判の概要が分かるように各資料に解説文を掲載している。

http://nihon-taikiosen.erca.go.jp/taiki/nisiyodogawa/saiban/

 そして、反対運動の中心で裁判の原告となった患者会の活動が分かる総会議案書・ビラは年表とリンクして読めるようにしている。

http://nihon-taikiosen.erca.go.jp/taiki/nisiyodogawa/history.html

 写真館ではグーグルマップを活用して、大気汚染の写真を地図上から読めるようにしている。50年前の日本が煙に包まれていたことが実感できる写真である。

http://nihon-taikiosen.erca.go.jp/taiki/nisiyodogawa/photo.html

■全国の公害反対運動がわかる

 30年以上続く全国公害被害者総行動や、公害健康被害補償法の第一種指定地域(大気汚染)解除の反対運動のビラもホームページ上から読めるようにしている。大気汚染だけでなく、水俣病やイタイイタイ病、空港裁判など公害について調べたい人の必読資料満載である。

http://nihon-taikiosen.erca.go.jp/taiki/abstract/

 公害をなくすために住民の反対運動が果たした役割は大きい。多くの人にその力をこれらの資料から学び、研究してほしいと願っている。それが、公害患者が願う「公害経験を伝える」ことにつながると信じている。

尼崎の火力発電所

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スモッグの中の通天閣

【筆者】林 美帆(HAYASHI, Miho) / あおぞら財団(The Aozora Foundation) / 寄稿 /  [J11090903J]
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東アジア気候フォーラム2011「低炭素東アジアをめざして」開催

東アジアの原発をどうしていくのか

東京 2011年9月2日、東京・国立オリンピック記念青少年総合センターにて、東アジア気候フォーラム2011「低炭素東アジアをめざして」が開催された。このフォーラムには、中国と韓国で気候変動問題に取り組む環境NGOのメンバー約20名が参加し、3.11後の福島第一原発事故を踏まえて、これからの東アジアの低炭素化を図っていくための方策について、議論が交わされた。

 フォーラム冒頭、特別報告として、福島第一原発の事故によって生まれ育った地域を離れざるを得なくなった福島県飯館村の方々などから、福島の現状についての報告がなされた。政府や政府に近い専門家による「大丈夫だ」という誤った情報によって、被ばくを余儀なくされた人びとの怒り、酪農で大事に育ててきた乳牛を手放し、生計をたてる道を奪われた人びとの悲しみなどに、中国、韓国からの参加者も、聞き入っていた。韓国の参加者からは、原発事故という甚大な被害を受けてもなお、日本が脱原発に舵をきらないという決断を下せば、韓国政府も原発推進路線をまい進することになるので、ぜひ日本の市民に頑張ってもらいたいという意見も出された。

 午後の特別報告では、未来バンク理事長の田中優さんが、「3・11 で分かった日本の姿」と題して報告を行い、原発が不適な地震国日本において、原発が進められてきた利権や仕組みなどの問題点を紹介した。そして、再生エネルギーで電力の自給をめざすことが、日本が取るべき道であり、電気を自給する暮らしの重要性を語った。

 その後、原子力など、エネルギーの生産やエネルギー供給システムの安全性についての課題や、低炭素社会への転換に欠かせない再生可能エネルギーの普及に向けた課題や方策について議論を深めた。そして最後のセッションにおいて、光州で開催した東アジア気候フォーラム2010で共有した「気候変動問題の解決のために、共通の目標として、産業革命前からの気温上昇を2℃未満に抑え、世界全体の温室効果ガスの排出量を2050年までに50%以上削減することを目指す」という共通ビジョンに向けて、東アジアにおける具体的な活動についても討議がなされた。

 今後、東アジア気候ネットワークとして、日中韓の市民が参加しやすい具体的な共同アクションを検討していく他、国際交渉をウォッチしているような環境NGOの情報共有とコミュニケーションを深めることが合意された。また、中国においては、市民が原発についての知識があまりないことから、福島の現状を中国国内に広めていくような活動も展開していく。次回の東アジア気候フォーラムは、中国・ハルピンにおいて開催される予定だ。

※このフォーラムの様子は、Ustreamにおいてすべてご覧いただけます。
(セッションごとに四分割されています。)
(1)http://www.ustream.tv/recorded/17014232
(2)http://www.ustream.tv/recorded/17016974
(3)http://www.ustream.tv/recorded/17018644
(4)http://www.ustream.tv/recorded/17019133

【筆者】廣瀬稔也(HIROSE, Toshiya) / 東アジア環境情報発伝所 / 寄稿 /  [J11090901J]
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