ひとまず守られた鞆の浦の歴史的環境(後編)

守られた映画『崖の上のポニョ』の舞台

広島 30年ほど前に埋め立て架橋の計画が持ち上がって以来、いろは丸や、宮崎駿監督のアニメ映画『崖の上のポニョ』など、巧みに時々の話題を作り、国内外の注目を集めてきた反対派の住民運動のあり方も興味深い。

 『崖の上のポニョ』は、構想時に鞆の浦に監督が滞在し、少なくとも部分的に鞆の浦にヒントを得た場面があることは明らかだった。当初は関係を否定するような動きもあった。制作者と地元、特に埋め立て架橋推進派がそれぞれ異なる思惑から、舞台を隠そうとする意図が偶然一致したからのようである。一方、反対派の中からは、そもそも自分たちが監督を招いたので映画の舞台が鞆の浦であるのは当然で、作品には埋め立て架橋反対のメッセージが込められている、との声も上がっていた。この時期、観光地の中心部近くに反対派が目立ったアピールを出していたこともあり、制作者側はともかく、地元の推進派は、映画の影響によって新たに多くの観光客が集まって、埋め立て架橋計画の問題が広く知られることになるのを嫌ったようである。

 もっとも、舞台論争が報じられた2008年9月に初訪問したときには、埋め立て架橋事業への賛否に結びつかない細かい部分で、舞台だからこそ、というエピソードをいろいろ聞くことができた。付近と思われがちだけれども、実は1つだけ全く違う地域にモデルが存在する場面がある、といった話も含めて……。

 2か月後に再訪したときには、ポニョに出会うツアーとかいったパンフレットを手にした人たちが団体で来ていて、隠そうとした意図の失敗は明らかになっていた。その約1年後に、埋め立て架橋への反対派による、県が進めていた埋め立て免許の差し止めを求める裁判で、原告勝訴の一審判決が出ると、もはや舞台であることは当然の前提として監督の談話が報じられ、計画に批判的であることも明白になった。

 いろは丸と鞆の浦の関係も、元々は反対派が強調したものというが、2010年のNHK大河ドラマで坂本龍馬が主人公となったときには、推進派も含めて、ゆかりの地として盛り上げているのには開き直りのようなものも感じた。前年の判決の影響か、反対派のアピールは控えめになる一方、決して派手ではないながらも目を引く場所に推進派のアピールが出ていたのが印象的だった。

 ここ数年、何度か福山経由で鞆の浦を訪れ、もう一つ気になったのは、福山駅南口の駐車場と地下送迎場の建設過程で出土した福山城石垣の扱いである。福山城は駅の北側に立つが、駅があまりに近い、というか、ある住民の表現を借りれば「城跡の上に駅を作ったようなもの」であるため、駅の反対側でも地下を掘れば遺構が出てくることは十分にあり得た。それを活かす代替案を示す住民運動も駅前にアピールを出し、建設現場の完成予想図(概要図)にも2008年11月時点ではそうした意見を検討する旨、注記されていたが、2010年3月の完成予想図からは検討結果がどう反映されたかも不明確で注記も消えていた。この問題の存在も、福山市の一部に鞆の浦への注目の高まりを嫌う人たちがいた理由のようにも思えた。鞆の浦への対応次第では、現職市長は、日本の先人たちが残してきた貴重な歴史的文化的環境遺産を2つも破壊したという汚名を後世に残すことにならないだろうか。

 鞆の浦の埋め立て架橋計画の撤回とともに、知事が市長に伝えた「山側にトンネルを整備する」というのは、海上を横断する道路を建設する代わりに、鞆地区の西側にある山にトンネルを掘る案のことである。反対派から、同様に鞆地区内の交通量を減らしながら、環境への負荷や工期、経費などの面で埋め立て架橋に勝る代替案として主張されてきた。試算によっては逆転する数字もあるようだが、埋め立て架橋が、先人から受け継がれてきた歴史的環境の破壊という数値化しにくい損害をもたらすことまで考慮に入れれば、客観指標が大差なければ山側トンネル案の方が優れていることになる。もっとも、この案には埋め立て架橋を推進する人々が反発している(一部報道は、土砂利権との関係を指摘している)のに加え、反対派の一部からもやはり自然環境を破壊することになる工事の必要性が疑問視されている。

 続報によれば、地元では埋め立て架橋を推進する世論の方が強かったこともあって、県側が進めようとしている、計画中止および山側トンネル案についての説明会に、住民の多くや福山市長から協力が得られていない。一方で、埋め立て免許の差し止めをめぐる裁判(二審)は、県が免許を取り下げる方針を決めたことで終結する見通しが出てきた。ただし、これも県の方針への地元住民や市の理解が前提となるため、終結の具体的な時期までは見通せない。ともすれば「中止」「撤回」や「方針」を県知事が決めたからといって、本当に信じて良いのか、疑問すら湧いてくる。引き続き注視し続ける必要がありそうだ。

(関連記事)
・ひとまず守られた鞆の浦の歴史的環境(前編)
 http://www.enviroasia.info/news/news_detail.php3/J12072701J

鞆の浦に溢れる自動車のすれ違いの難しさを示す看板や光景

駅南口から福山城の石垣が出土した福山駅(左:2008年11月)、1年半後(右:2010年3月)

福山駅前の再開発計画図、注記付き(左上:2008年11月)、同時期に住民運動が示していた代替案(左下:2008年11月)、1年半後(右:2010年3月)

【筆者】相川 泰(AIKAWA, Yasushi) / NPO法人 東アジア環境情報発伝所(East Asia Environmental Information Center) / 寄稿 /  [J12072702J]
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ひとまず守られた鞆の浦の歴史的環境(前編)

江戸時代から残る港湾施設の埋め立て架橋計画が撤回された。

広島 2012年6月25日、湯崎英彦(ゆざき・ひでひこ)広島県知事は、羽田皓(はだ・あきら)福山市長に対し、鞆(とも)の浦での埋め立て架橋計画を撤回し、山側にトンネルを整備する方針を伝えた。鞆の浦は、広島県東南部に位置する福山市の中心部から南へバスで30分あまりの、海沿いの景勝地である。ここには江戸時代初期以来の町の区画が残っているため道路が狭く、福山市中心部と、鞆の浦より西に広がる臨界部地域とを結ぶ自動車交通に支障が出ることがある。その解消のために30年ほど前に計画されたのが、港湾部の一部を埋め立て、橋を架けて横断する道路などを建設しようという事業だった。

 鞆の浦は、瀬戸内航路のほぼ中央に位置し、近代以前は瀬戸内海の海上交通の要衝であった。潮が満ちるときは瀬戸内海の東西両側から中央部へ、潮が引くときは中央部から東西両側へと海流が変わるため、その流れに乗って航海するための「潮待ちの港」として栄えたのである。

 その歴史は古く、神功皇后が立ち寄ったという伝説もあり、確実なところでも万葉集に詠まれている。最も古い寺は最澄によって開かれた。中央から九州に落ちのびていた足利尊氏が再起をしたのと、織田信長によって京都から追放された足利義昭が長らく滞在していたのが、ともにこの地であったことから「室町幕府は鞆に興り、鞆に滅んだ」といわれる。現在の町の区画を作ったのは、豊臣秀吉の部将で関ヶ原合戦後(17世紀初頭)に現在の広島県一帯を治めた福島正則とされる。江戸時代は港町として栄え、その痕跡は特産の「保命酒(ほうめいしゅ)」という薬用酒に残っている。その蔵本の屋敷には、幕末に七卿落ちの際にその七卿(三条実美以下、討幕派の公家7人)が一時滞在した部屋が残っている。坂本龍馬の「いろは丸事件」で最初の交渉が行われた地としても有名である。そのほか、それほど広くない範囲に各時代の史跡が密集している。

 近代に入って船舶の動力が蒸気になり、航続距離と航海速度が上がると、「潮待ちの港」は必要とされなくなった。さらに鉄道の発展もあり、鞆の浦は交通の大動脈から外れることになった。しかし、そのことが幸いしたのかもしれない。江戸時代の日本の港湾には、常夜灯、波止場、雁木(がんぎ)、焚場(たでば)、船番所という5つの施設が存在したといわれ、鞆の浦には全国で唯一、この全てが残っている。常夜灯は、のちの灯台のようなもので港の入口を示した。波止場は外海からの波を防いだ。雁木は、潮の干満とともに上下する船体と高低差を少なくして荷物の上げ下ろしをするため階段状になっている船着き場のことである。焚場は、船底についた貝類などをはがす(たでる)場所であり、残っているのは珍しいという。船番所は港湾への出入りを見張るための建物である。現在、常夜灯は鞆の浦のシンボルとされている。埋め立て架橋計画は、そのシンボルのすぐ沖に橋を架け、焚場を埋め立てるもので、実現していたら、観光価値と歴史的文化的価値を持つ景観が大きく損なわれていた。

 他方で、17世紀初頭以来という現在の町の区画による道路交通の不便さもまた事実である。ここを訪れると、道の狭さにすぐ気づく。自動車同士がすれ違うために譲り合いを促す注意書きがあちこちに出ているし、観光客が多い週末ともなると、両側から苦労しあいながら自動車がすれ違う場面に遭遇することも多くなる。何らかの対策が必要という点については、異論はない。

 だが、現場をみて疑問に思うこともある。港湾のある東側が鞆地区、西側が平(ひら)地区という。鞆地区は観光資源が充実していて、そこから収入を得ているだけに、埋め立て架橋が実現すると打撃を受けることが予想される。一方、観光の恩恵がほとんどない平地区からは、埋め立て架橋が熱望されている。しかし、両地区とも同じように狭い道でありながら、交通量がより少なくみえる平地区には、簡易な信号機が設置されている。さらに、鞆地区に限っても、狭くまた全区間ではないにせよ、部分的には並行する複数の道路が自動車通行可能で、両方通行とされているが、それなら一方通行を設定するだけでも部分的に交通問題を緩和できそうである。現に一方通行については、埋め立て架橋に反対する住民運動によっても主張されていた。(後編につづく)

(関連記事)
・ひとまず守られた鞆の浦の歴史的環境(後編)
 http://www.enviroasia.info/news/news_detail.php3/J12072702J

常夜灯と雁木がある風景……すぐ沖に架橋される計画だった

事業計画の広報パネル

鞆の浦北岸側から西岸側をみる……左手前の道路を海上経由で対岸に延長する計画

【筆者】相川 泰(AIKAWA, Yasushi) / NPO法人 東アジア環境情報発伝所(East Asia Environmental Information Center) / 寄稿 /  [J12072701J]
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済南で20トンの廃油が漏出し河を汚染、沿岸住民は不調

藍星石油は廃油を回収し終えたが、一部の廃油は小清河を侵食し、強烈な臭いが漂う。

山東省 2012年7月21日、藍星石油有限公司済南支社(以下、藍星製油)が油流出事故を起こし、小清河やその支流の梁王河(別称、石河)に大量の廃油汚染が見られた。沿岸に住む住民には事故の後、不安やイライラなどの体の不調が現れている。23日、済南氏環境保護局のこの事故の処理状況に関する報告では、油流出は従業員の取り扱いミスによるもので、20トンの廃油が漏出し、多くは軽油、少量のガソリンも含まれるとのこと。検査の結果、廃油は小清河の水質には大きな影響をもたらしていない。

 23日、済南氏環境保護局は、藍星石油の廃油漏出事故の処理状況に関して、事故は従業員の操作ミスによるもので、藍星石油は20トンの廃油を漏出して石河を汚染し、廃油のほとんどが軽油だが、ガソリンも少量含まれていた。また、小清河の水質への大きな影響はない、と報告している。

 済南市環境保護局の関係者の話では、21日午後12時45分に藍星石油が製造を停止して修理・点検を行っている間、廃油タンクの排水作業の際に、従業員が無断で職務を離れるために、事前に雨水放出門を開けたことにより排水管が塞がれるなどの原因で、廃油が混ざった雨水が排水溝から小清河支流の梁王河に流れ出たという。漏出したのは約20トンで、廃油に含まれる水は90%以上だった。事故の後、藍星石油は、梁王河に5か所、オイルフェンスを設置し回収作業を行い、また5台のオイルタンカー車を準備して汚染物質の現場回収にあたった。22日の午前10時までに汚染物質の基本的な回収を終え、「汚染物質は梁王河内で差し止めた」としている。

 記者が、小清河空港からの道で油による汚染を見たこと、鼻をさすような臭いをかいだことと話すと、環境保護局の趙氏が記者に、「藍星石油はすでに大量のオイル吸着マットで廃油を回収した。雨が降る前に基本的に回収を終えたが、一部の油汚染が小清河を侵食し、油は揮発性が強いので、臭いが強烈だ」と話した。

 この当局職員は、事故発生の当日と翌日の観測結果を見せて、小清河の分水境界断面の石油類濃度は基準値(1mg/L)より少なく、基準値を下回るので、漏出した油の小清河の水質への大きな影響はないと言った。

 済南市環境保護局の応急課の課長は、「漏出した廃油は、ほとんどが軽油で、少量のガソリンを含んでおり、現在、劉家庄の村民たちは鼻をさすような軽油の臭いを感じ、梁王河の廃油汚染を目にするだろうが、これは軽油が吸着性と揮発性が高い物質のため、軽油が建築物や草に吸着したからである。今のところ、環境保護局がこの事故に関して調査を行い、藍星石油はこの調査結果に基づいて処理を行うことになっている。」と話した。再び現場へ行ってみると、河の一部のエリアでは依然として鼻をさすような臭いがしていた。

 23日、記者は再び藍星石油廃油漏出の影響が出ている梁王河と小清河を訪ねた。藍星石油に近い梁二村付近では鼻をさすような臭いはしなくなっていた。村民の仇氏は、22日夜9時頃、臭いはかなり強烈で、23日朝には臭わなくなり、藍星石油の排水管からの排水はないという。

 藍星石油の排水管から5kmの劉家庄にある梁王河の水門付近では、依然として鼻をさすような臭いが残っていた。このとき梁王河の水流は弱くなっており、水面の幅は22日の5mから2m広くなり、水面には油汚染が漂っていた。

 藍星石油の排水管から6km離れた大碼頭村の小清河に近いエリアで、村民の趙氏が言うには、23日早朝は、鼻をさすような臭いがあり、午前中に東北の風が吹いた後臭いはかなり無くなったとのこと。昼12時頃に、記者が空港へ向かう途中、小清河の橋の上から水面にうっすらと油汚染が見えたが、臭いはしなかった。

 22日記者が藍星石油済南支社を取材したとき、従業員は幹部の不在を理由に取材を拒否した。23日午前11時頃、記者が再び藍星石油を訪ねると、警備員が「幹部が全員外出していて、いつ戻るかわからない」と答えた。午後、記者は何度か藍星石油済南支社に電話をかけたが、毎回、幹部が不在で取材は受けられないとのことだった。

【筆者】劉 帥 / 齐鲁晩報 / 齐鲁晩報より転載 /  [C12072501J]
【翻訳】中文和訳チームB班 大石愛子]]>

北京の大洪水に、コンクリートジャングルの危機を改めて考える

発展は必然であるが、自然は容赦ない。世界は「生態文明」を捨てた工業文明繁栄の輝きの中、一歩ずつ生態環境危機の泥沼に入り込んでいる。

北京市 発展は必然であるが、自然は容赦ない。世界は工業文明の流れの中で「生態文明」を捨てた。世界は工業文明繁栄の輝きの中、一歩ずつ生態環境危機の泥沼に入り込んでいる。中国も例外ではなく、特に経済発展のスピードがこのように早い今日、生態環境の犠牲は経済発展にとって不可避の代価であるかのようだ。

 今回の北京を襲った大豪雨は降水量、降雨時間、局地的な雨の強さなど全て歴史上稀なものであった。豪雨の被害は北京16,000平方キロメートルに及び、被災者は190万人、損害を受けた車は1万台以上、初期段階の調査によると北京全市の経済損失は100億元近くであるという。死者は77名。この数字は大変痛ましい。今回の北京の豪雨による大洪水災害について中国共産党北京市委員会書記の郭金龍は以下のように述べた。「甚大な自然災害は我々に深刻な教訓を与えた。災害を前に、我々の計画的な都市建設、インフラ、非常事態管理などが多くの問題を露呈した。ここに失われた命を想い、被災者の姿を目に焼き付け、我々は深く反省しこの教訓を永遠に心に刻まねばならない(7月27日人民日報オンライン版より)。」

 ここ数年を振り返ると北京は度々豪雨に襲われている。2004年「7・10」市内豪雨、2011年「6・23」市内大豪雨、2011年「7・24」密雲・平谷大豪雨など、毎回大きな被害を引き起こしている。7月22日、香港フェニックス・ネットは次のような記事を掲載した。今回の北京の大洪水の発生にはいくつかの原因がある。一つ目は都市の面積が農地に大きく侵出しており、一部の農地が失われていること、二つ目は車社会により駐車場と道路が至る所に拡がり、北京が鉄筋コンクリートでできた都市になってしまったことである。中国国営中央テレビの番組「中国之声」の報道によると、京港澳高速道路を北京から17.5キロ南へ下った南崗洼鉄橋下の冠水被害は甚大で、最も深いところで6メートル、数十台の車が水没した。北京の地面は透水性を失っている。この分析は考察の価値がある。報道によると、大雨の前、北京洪水対策弁公室は北京市内90か所のアンダーパス構造の立体交差に対し対策を行ったと発表していた。しかし、事実が証明しているように、強力な大雨に多くのアンダーパスで甚大な冠水被害が発生した。実際、北京を61年ぶりに襲った豪雨による大災害は、気候変動が影響しているということ、そして都市の生態学的な危機であることを直視せねばならない。

 いわゆる都市の生態学的危機、と聞くと多くの人は人口爆発、都市の交通渋滞、都市における商品供給ラインの分断などを思い起こすが、都市における土地の過度な開発、自家用車の増加による問題を考える人は少ない。

 中国の多くの都市は事実上コンクリートの天下で、土地や建物だけでなく道路もコンクリートで舗装されている。客観的にいえば、都市の排水設備は無いわけではないが、透過性の悪いコンクリートの世界は事実上透過性の悪い壁となり、大雨が降ると排水が問題となる。

 しかし、北京の豪雨の中心地であった北海と団城は「雨で地表が湿り地面は少し濡れた」程度であり、11ある排水口はどれ一つとしてあふれたという報告がない。北京の他の地区で数十センチから数十メートル冠水したという惨状と対照的である。北海と団城は明朝に建設され600年の歴史がある。団城の青煉瓦の作りは特殊で、上が大きく下が小さくなっており、また吸水性が非常に高く、煉瓦の一つ一つが小さなダムのようになっている。雨水は青煉瓦の隙間を通って地下に流れ込み、大雨や長時間の雨が降った場合は、水は高い北側から低い南側に流れ、石製の排水口に流れ込む。都市計画と建設を担う政府が地下の排水システムの建設に本格的で大規模なアクションを起こさなければ、豪雨が起きるたび批判の声は政府に向かうであろう。

 発展は必然であるが、自然は容赦ない。世界は工業文明の流れの中で「生態文明」を捨てた。世界は工業文明繁栄の輝きの中、一歩ずつ生態環境危機の泥沼に入り込んでいる。中国も例外ではなく、特に経済発展のスピードがこのように早い今日、生態環境の犠牲は経済発展にとって不可避の代価であるかのようだ。痛ましい教訓を我々への警告としなければならない。

【筆者】馮 創志 / 観点中国 / 観点中国より転載 /  [C12072502J]
【翻訳】中文和訳チームA班 近藤玲]]>

映画「ミツバチの羽音と回転」鑑賞会と祝島

山口県上関町祝島の島民たちの原発反対運動と島での生活を描く。

神奈川 今夏、東アジア エネルギー国際青年ワークショップ2012で山口県上関町祝島を訪れる。

 祝島の島民は1982年に中国電力が山口県上関町四代田ノ浦に沸騰水型軽水炉2基の建設計画を発表して以来、原発反対運動をしてきた。原発建設予定地は祝島の対岸である。もしここに原発が建設されれば、祝島の島民は毎日原発と向かい合って暮らさなければならない。また、祝島と建設予定地との間は豊かな漁場で、祝島の漁師達だけでなく島民全員の生活基盤になっている。

 映画「ミツバチの羽音と地球の回転」は「六ヶ所村ラプソディー」を監督した鎌仲ひとみさんの作品である。祝島では1000年も前から住民が住んでおり、昔は漁業で暮らしていた。戦後、人口は5000人にもなり国策としてみかんの栽培をしていたが、オレンジの輸入自由化により島民は生計を立てられなくなり、島外に出稼ぎにでる人や島から出てしまう人がおり、現在は500人の人口だという。原発建設計画が持ち上がったことにより、激しい反対運動が起こった。しかし、祝島は反対派と推進派に二分され、対立するという不幸な状態が続いている。同じ島で互いに助け合い生きていたが、今は対立する派閥の人とは互いに話もあまりすることがない。

 島に住む反対活動をしている方々は島民の活動だけで原発計画が無くなるとは思っていないが、この活動を続けていき、着工までの期間を延ばすことで、その間に社会情勢が変化していけば、原発がない世界になるのではないかと話されていた。

 この映画は2年前の作品であるが、撮影されたのは2009~2010年であった。しかし昨年の福島第一原発事故を受け、日本国民は毎週金曜日に脱原発デモを行うほど、国民意識も以前と比べ高まってきたといえるだろう。

 この映画は現在も自主上映が日本各地でされている。原発の話や島民の生活の様子の他にもスウェーデンの再生可能エネルギーで暮らしている地域の話などで構成されており、原発問題やエネルギー問題に関して初めて触れる人にもわかりやすい構成になっている。是非、多くの人に観ていただきたい。

・祝島ホームページ
 http://www.iwaishima.jp/
・映画「ミツバチの羽音と地球の回転」ホームページ
 http://888earth.net/top.html
 
 また、今夏開催される東アジアエネルギー国際青年ワークショップ2012では映画の舞台になった祝島にフィールドトリップで行くことになっている。興味がある方は是非、参加していただきたい。

・東アジアエネルギー国際青年ワークショップ2012
 http://www.eden-j.org/pdf/EAEWS1208.pdf

【筆者】蓮見 瑠依(HASUMI, Rui) / NPO法人 東アジア環境情報発伝所(East Asia Environmental Information Center) / 寄港 /  [J12072002J]
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市民と政府が2030年のエネルギーの選択肢をめぐり議論

政府の示した3つのエネルギーシナリオに関する初の“自主的意見聴取会”が開催された。

東京 2012年6月29日、政府の「エネルギー・環境会議」から、2030年までの日本の原発のあり方に関する選択肢が提示された。(1)原発ゼロシナリオ、(2)原発15シナリオ、(3)原発20-25シナリオという、3つの選択肢を巡り、国民の意見を聞こうと、パブリック・コメント(〆切:8月12日)と共に全国の11都市で意見聴取会が開催されている。これまで開催された意見聴取会では、電力会社の社員が会社の立場を説明したり、その運営方法の問題点が指摘されている。そこで、7月19日、市民団体のネットワーク、eシフト(脱原発・新エネルギー政策を実現する会)と原発ゼロ・パブコメの会主催による、初の自主的意見聴取会として、「未来のエネルギーはどれ?『選択肢』に関する政府との意見交換会」が衆議院第一議員会館で開催され、200名以上の市民が駆けつけ政府担当者と熱い議論が行われた。

 まず、政府担当者である内閣官房国家戦略室の清水康弘審議官から「エネルギー選択肢」について説明がなされた後、会を主催した各市民団体から意見表明が行われた。

 気候ネットワークの平田仁子氏は、いずれの案でも省エネの10%削減しか見込んでいないという問題と、原発ゼロのために更に省エネしたい人のための選択肢がないことを指摘した。気候ネットワークでは、産業部門の効率向上と6割もある発電ロスなどを減らし、更に省エネ目標、キャップ&トレードなど適切な政策を実施することで、40%以上の省エネが可能であるという試算を4月に出している。また地球温暖化防止も脱原発も共に実現できることを強調した。

 環境エネルギー政策研究所の船津寛和氏からは、2050年先進国として温室効果ガス80%を削減するためには、2050年には燃料部門によるCO2排出をゼロにする必要があるが、原発ゼロシナリオですら再生可能エネルギーの導入が35%しか見込まれていない点が指摘された。同時に自然エネルギーの普及のためには、発送電分離、地域独占、小売市場の自由化などの制度改革を速やかに行う必要性を訴えた。

 使用済み核燃料サイクル問題については、原子力資料情報室の西尾漠氏より、ゼロシナリオ以外の二つの選択肢では、「再処理も直接処分をありうる」とはなっているが、仮に15%のシナリオの中でも全て直接処分を要求できることが紹介された。

 最後に国民的な議論のあり方について、グリーピース・ジャパンの高田久代氏より、パブリックコメントで寄せられた意見のデータを政府側が全て生の状態で公開すること、エネルギー・環境会議の傍聴と生中継を求めた。公開された11回の議事録などによると、会議の時間は30分前後が多く、「最重要の課題」とされる問題の議論が充分に行われたとは思えないという。

 その後の意見交換でも、フロアーから活発に意見が出された。政府が提示したゼロシナリオの表現がネガティブになっていること、15%シナリオで原発新設もありえることを明記するなど、選択肢の表現の即時修正を求める声が多かった。また、2030年を待たず、明日からでも原発ゼロを選ぶ選択肢がないことへの批判など脱原発への思いが熱く語られた。

 今回の意見交換の中明らかになったのは、パブリックコメントで寄せられた意見がどのように扱われるかという明確なルールがあらかじめ定められていないという点だ。選択肢として3つのシナリオが提示しているにもかかわらず、「この中から必ず選ぶと言う事ではなく、国民的議論、パブリックコメントを真摯に受け止め分析し考えていく」ということでは、何のための選択肢なのかわからない。主催団体や参加した市民からも多数、ルールの明確化としっかりとした情報公開が求められたのは当然である。

 主催側は今後も福島、郡山、横浜などで自主的な意見交換会を開き、国民の声を直接政府に届ける場を企画している。同時に、HPではパブコメの提出を呼びかけている。8月12日の〆切までに多くの市民がパブコメなどを通じて自らの意見を述べ、脱原発という望ましい未来を手にすることを願っている。

(関連記事)
・中長期エネルギー、第4の選択肢を!(12/7/6)
 http://www.enviroasia.info/news/news_detail.php3/J12070601J

(関連URL)
・未来のエネルギーはどれ?「選択肢」に関する政府との意見交換会の動画
 http://www.ustream.tv/recorded/24091986

・パブコメで未来を変えよう(原発ゼロ・パブコメの会)
 http://publiccomment.wordpress.com/

・「エネルギー・環境に関する選択肢」に対する御意見の募集(パブリックコメント)について(国家戦略室)
 http://www.npu.go.jp/policy/policy09/pdf/20120702/20120702.pdf

未来のエネルギーはどれ?「選択肢」に関する政府との意見交換会

3つの選択肢の問題点を指摘する気候ネットワークの平田仁子さん

【筆者】朴 梅花(PIAO, Meihua) / NPO法人 東アジア環境情報発伝所(East Asia Environmental Information Center) / 寄稿 /  [J12072001J]
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温州・鄭州で頻発する河川の変色の原因は?

温州甌海区の瞿溪河と鄭州の七里河が突然変色し、社会の注目を浴びている。

中国全土 温州甌海区の瞿溪河と鄭州の七里河が突然変色し、社会の注目を浴びている。記者が調査したところ、これらの河川の汚染は意外にも一夜のうちに起こったものであった。

 温州甌海区の瞿溪河畔にある林橋村の村民である周さんは、7月9日早朝、窓を開けて瞿溪河を見ると、川の色が白く変色しており、“まだ夢を見ているのかと思った”と語った。同様に、鄭州の七里河も7月8日夜の豪雨の後、赤く変色していた。

 “様々な色に変色してしまった川”は住民の生活や生産活動に多くの不便を与えている。瞿溪河畔に住む市民は、数十年前はこの川の水は飲用水として使って来たが、その後飲むことができなくなり、洗濯や野菜を洗うのに使うようになり、今では洗濯にも野菜を洗うのにも使うことができなくなってしまったと語った。七里河近くで商いを営む凌耀軍さんは、この川は比較的浅いが、村民達は野菜を洗ったり洗濯をしたりするのにこの川の水を使い、夏になると子供たちは河で水遊びをしていた。赤くなってしまった水を見るととても恐ろしく、とてもではないが使うことができないと語った。

 では、なぜ河の水は一夜にして変色してしまったのだろうか?瞿溪河が“白色”に変色してしまった“元凶”は、上流にある天然ラテックス乳剤を販売している温州大樹林貿易有限公司にあった。この企業は、数日前海南から天然ラテックス乳剤を購入し、7月8日夜、輸送パイプを通して自社の貯蔵庫に輸送する途中パイプが破裂し、ラテックス乳剤が漏れ出した。責任者である張建華氏によると、今回漏出したラテックス乳剤は100~150kgであり、川は1km以上先まで汚染されているという。

 鄭州の環境保護部門は、七里河が“赤い河”に変色してしまった原因はおそらく前日の豪雨が上流の汚染水路や周囲の市の下水道を突き破り、大量の汚染水が湧き上がって十八里河に流れ込み、さらに七里河に流れ込んだと伝えた。現地の村人は記者に“赤い河”が現れたのは今回が初めてではなく、以前も大雨が降るとすぐ“赤い河”になっていたと語った。

 現地の速やかな処置や川の自浄作用により、記者が現地を調査した時には、瞿溪河も七里河もすでにもとの色に戻っていた。しかし、これにより汚染問題が解決したと言えるのだろうか?

 “汚染された水は地下水に影響しないのだろうか?”と凌耀軍さんは言う。“河の水の色は元に戻ったが、まだ臭いが鼻をつくため人々は外出したがらない。蚊も以前より多くなり、まだ汚染は残っていると思う”

 瞿溪河の浄化はもう少し面倒である。環境保護部門はまず汚染源の企業に残ったラテックス乳剤の浄化を行い、それに続いてこの企業から紅橋まで取水ポイントを設置し、12台の大型ポンプを使って、白色の川の水を汚水処理場の管理網に送水し、下流では事故処理班がゴム堤防を使って川の水をせき止めた。現在、瞿溪河は本来の姿を取り戻したように見える。しかし、瞿溪河付近の住民は心配そうに“水は奇麗になったように見えるが、川の中でたくさんの魚が死んでいる。この白い化学物質はどれだけ危険なのだろうか!”と言っている。

 甌海区環境保護局局長の凌暁敏氏は、天然ラテックス乳剤は無毒であるが、液体の酸素含有量を減少させて水生生物の死を招き、最終的には河の水を黒く変色させたり、悪臭を発生させたりするようになると語る。モニタリングによると、7月9日に汚染が発生した部分の川では科学的酸素要求量が著しく標準を超えており、特に漏出地点では最大700ミリグラム/Lに達していた。地表の科学的酸素要求量は40ミリグラム/Lが最大値であり、川の中の一部の魚類の死亡を招くこととなった。

 浙江省環境科学学会秘書長の金均氏は、一部の企業では常に違法ぎりぎりの方法を採用し、環境アセスメントをできるだけ避けようとして、最終的に事故を引き起こしていると語る。このような状況の発生を防ぐため、まず企業の環境保護に対する教育を強化し、次に環境保護部門はさらに環境保護監督業務を強化し、とくに最初の環境アセスメントは厳格にチェックを行い、同時に汚染物質の不法排出を厳しく取り締まらなければならない。政府部門は早期警戒機構を強化し、突発事件が発生した場合に、危害が最低限に留まるように速やかに問題を解決しなければならない。

【筆者】北京日報 / 北京日報記者 / 転載 /  [C12071802J]
【翻訳】中文日訳チームC班 富川玲子]]>

淮河衛士・大学生夏期実践活動が滞りなく終了

長年の努力で淮河の水質は明らかに改善されてきているが、汚染による悪影響はまだ続いており、特に農村住民の飲用水問題の解決が急務だ。

河南省 2012年7月6日、淮河衛士、および北京科技大学と南京河海大学が共同で結成した「愛の村——ガン患者救済暖陽実践チーム」が、12日間にわたる夏期の実践活動を正式に終了した。活動期間中、33名のチームメンバーは、民間の環境保護団体である淮河衛士の引率のもと、大王楼、趙古台、東孫楼、黄冢、窪子庄等の村で現地調査やヒアリングを行い、淮河の汚染対策の状況や村民の生活、企業の環境保護活動について理解を深めた。

 7月3日、実践チームは、現地の環境保護において特に効果をあげている企業の代表である蓮花味精公司と国奥皮革工場を訪問し、工業生産プロセスにおける環境保護問題についてディスカッションを行った。チームメンバーは、蓮花味精と皮革工場の汚水処理施設を見学し、その効果について理解を深めた。また、国奥皮革工場では、淮河衛士とともに環境情報掲示板の設置を行った。

 今回の訪問でわかったのは、長年にわたる努力によって淮河の水質は明らかに改善されてきているが、汚染による悪影響はまだ続いており、特に村民の飲用水問題の解決が急務になっているということだ。現在汚染の影響を受けている村には、おもに3つの飲用水供給方法がある。それは、国の投資による深井戸、資金を募って建設された浄水装置、および村民が独自に設置した深井戸だ。一番目の方法は、高コスト、フッ素濃度が水質基準超過、過剰な取水とそれによる地層断裂といった欠点がある。調査研究によれば、深井戸の水と浄水装置処理水の両方を飲んだ人々は、後者のほうが水質が良く、口当たりも良いという反応を示しており、サンプリング検査でも、飲用水の水質基準を満たしているという結果が出ている。しかし、浄水装置については、資金や政策上の問題から広く普及することが難しいのが現状だ。現地訪問中、実践チームのメンバーも浄水装置の普及に努め、環境保護に関する広報を行った。

 この他にも実践チームは、経済水準の上昇にともない農村における汚染も日増しに深刻化していることを知った。現在、都市部の汚染については、汚染処理プロセスが規範化されてきているが、農村部における汚染は資金や有効な管理手段が不足しているために、十分な対処がなされておらず、より重視する必要がある。
 
 活動終了後、北京科技大学と河海大学の学生は、今回の活動について自分の感想を述べた。更に河海大学と淮河衛士はさらなる協力関係を結び、民間の環境保護団体である淮河衛士が、学生が社会における実践を学ぶ場所となることとなった。

【筆者】淮河衛士 / 淮河衛士 / 寄稿 /  [C12071801J]
【翻訳】中文和訳チームA班]]>

学生たちによる自転車での金水河源流を巡る旅

鄭州の母なる川に感謝し、想いをはせる

河南省 “私たちを育んでくれた千年の流れ……、今このとき、母なる金水を眺めると、私たちその子孫たちは鄭州の魂であるあなたに想いが募る”。昨日午前、鄭州市の中原路と大学路が交わる十字路の東南側に位置する金水の川辺では、『金水河祭颂』を意気揚々に吟じる声と悠々と流れる水音が重なり、ひとつの鮮やかな風景が広がっていた。民間環境NGOの“自然の友”で河南グループの責任者を務める崔晟は、漢服をまとった12名の河南財経政法大学の学生、20人の少年先鋒学校の小学生を連れて、金水河を前に祭事を執り行った。そして、学生たちは環境保護の願いがつまった言葉が満載の“心願船”を川に浮かべたのだった。

 その後、河南水利庁の宣伝・外事処を司る王延栄・処長が祝辞を述べ、これを以って河川をめぐる活動が正式にスタートしたことを宣言した。この活動は“環境への配慮を行動の基本に、母なる川を訪ねる”を中心に据え、5日間の予定で調査が行われることになる。

 伝説によれば2500年前に鄭の国の政治家である子産から名前を得たという金水河、鄭州市を貫くこの川はかつて、人々を魅了する物産と風光明媚に彩られていた。しかし、近年は都市計画、汚水排出などの問題により水質が悪化。対策を急ぐ前に、金水河はすでに市民から“臭水河”というあだ名をつけられてしまったほどだ。

 王処長が話すところでは、省内には流域面積100平方キロを超える河川が計490ある。これらの川は程度の差こそあれ汚染されているという。河南省の都市を流れる一部の河川は水質がとても良好なのだが、大多数の河川は一定程度の問題がある。“金水河のような中小サイズの河川は、都市の景観、市民生活の観点で見ると非常に重要な存在だろう”。王処長はそして“現在、金水河は水源がないにも関わらず、街における洪水防止、上下水道の処理などの役割を担っている。『南水北調』のプロジェクトが完工したら、水を引き入れることができ、金水河も綺麗な川に変わるだろう”と続けた。

 自然の友の崔晟はいう。今回の活動は河川の調査・保護に関わることであり、特に地域レベルでの保護に焦点を当てていると。これは文化を環境保護の哲学とする契機に、環境問題を憂える起爆剤に、そして人々の関心を文化のエネルギーに向かわせ、眼差しを環境が今置かれている危機に振り向かせるためのものだという。人々の伝統文化を愛し、故郷を愛する心を盛り上げ、故郷の河川とその保護に関心を持ってもらい、自らの民族文化を尊重する、和諧社会の建設を促すものとして。この後、崔晟は大学生たちと一緒に大学路と中原路の川辺を中心に、金水河の子産業文化園、金海ダム、櫻桃溝、金水河の水源、碧沙崗、毛沢東視察紀念亭などの地点で水質調査を行い、そのデータを発表するという。

 式典の終了後、崔晟たち一行13人は自転車に乗って川沿いを走り、沿岸の生態系、金水河の源流をめぐった。鄭州市の母なる川、金水河に想いをはせ、感謝しながら。これにより金水河の変遷に関して、人々の関心を呼び起こし、そして汚染、断流、憂いに眼差しを向けてもらいために。

【筆者】王迎節、張恒文、晋遠図 / 大河報 / 大河網より転載 /  [C12071101J]
【翻訳】中文和訳チームB班 畦田和弘]]>

環境保護部、1年に平均113都市の水源水質モニタリング情報を発表

第11期全国人民代表大会常務委員会第27回会議で聨合会議を招集、飲用水の安全性確保に関する国務院の業務状況についての質疑応答を実施

中国全土 2012年6月29日午前、第11期全国人民代表大会常務委員会第27回会議は聨合会議を招集、飲用水の安全性確保に関する国務院の業務状況について質疑応答を実施した。
 
 都市と農村の飲用水源地でおこなわれるモニタリングの重要な指標値をもっとオープンにできないかという呉暁霊委員の質問に対し、環境保護部副部長の張力軍氏は、今後環境情報の公開を積極的に進めていくと答えた。2008年、環境保護部は同部の情報公開目録及びガイドブックを配布し、環境情報公開業務に明確な要求を打ち出していた。

 張力軍氏は次のように語った。飲用水源の環境モニタリング情報公開について、近年我が部は主に以下3項目の努力を行ってきた。ひとつは、飲用水源の水質モニタリング情報の公開だ。毎年、集中型生活飲用水水源地の水質モニタリングを年度の全国環境モニタリング業務の重点とみなし、各レベルの環境保護部門に飲用水源地の水質モニタリングを強化するよう求めてきた。毎年発表される中国環境情況公報には、全国113の重点都市の飲用水水源地の水質モニタリング情報を公開している。

 二番目は、集中式飲用水水源地の基礎的な環境情況調査及び評価業務のシステムを構築した。毎年、我が部では全国の地級市(中国の地方行政単位。省クラスの行政単位と県クラスの行政単位の中間にある地区クラスの行政単位)以上の都市の集中式水源地の環境状況について評価を行い、その結果は環境保護部よりその都市が所属する省レベルの人民政府に通報され、飲用水源に関わる問題の整頓・改善を督促する。

 三番目は飲用水源管理情報の公開だ。私たちはインターネットなどのメディア上で、飲用水源環境保護関連の法律・技術・基準・規範的文献を公開し、飲用水源の安全保障に関する市民の意識とレベルを向上させている。また全国の都市の集中式飲用水源の環境保護計画の主な内容や目標、全国の地下水の汚染防止・改善計画、重点流域の汚染防止・改善計画など水源保護に関する計画、計画の実施状況と環境法規履行情報の公開など、飲用水源保護への市民参加の場が徐々に築かれつつある。

情報公開の不足面は、全国の県と県級市(行政区画の単位で【県】と同じ区分にある市)の飲用水源地の水質に関して公開していないことで、主な原因はこれらの都市の環境モニタリング部門にまだ指標となる109項目を観測する能力がないことだ。私たちは財政部の協力のもとで、近々武装環境モニタリングの能力を更に高める予定だ。また、今後は全国の集中式生活飲用水源地の水質モニタリング案を策定し、県級以上の都市には飲用水源の水質モニタリングに更に力を入れ、その観測情報を公開するよう求めるつもりだ。

【筆者】新華ネット / 新華ネット / 転載 /  [C12071102J]
【翻訳】中文和訳チームC班 松江直子]]>