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←会議日程(目次)に戻る 第4回 東アジア環境市民会議

第4回 東アジア環境市民会議
〈第1部〉「東アジアにおける水汚染の実態」

1日目(10/11)

報告「新潟水俣病と向き合って―新潟におけるメチル水銀中毒」

木戸病院 名誉院長  斎藤 恒

 

 私は1965年からずっと新潟の水俣病の問題に取り組んできました。2008年5月31日現在のこれまでの被害をみると、国が認めた水俣病患者が2,960名(内、新潟は692名)、1996年政治決着で一時金260万円と医療費で和解した例は11,152例(内、新潟は789例)。2004年の最高裁判決以後、新たな認定申請者が6,083名(内、新潟は31名)、水俣病の症状を有するために保険手帳だけの申請が認められた例は17,276名(内、新潟は227名)、裁判に持ち込んでいる例は1,526名(内、新潟は13名)です。これらを合計すると、37,360名という膨大な数の被害者が出ています。この世界に類をみない水銀汚染による被害を繰り返してはなりません。
 新潟県では川魚の汚染であり、被害が少ないだろうと見られていますが、決してそうではありません。ここで私の関係した二つの調査を通して被害の実情を報告します。
 1つは阿賀野市S地区の調査です。最初、阿賀野川下流でメチル水銀患者が明らかになり、その後、6、7年を経て、中流域の身近な住民からも水俣病患者の発生が伝えられるようになりました。S地区では地域ぐるみの水俣病検診を町当局に要請しましたものの、取り上げてもらえませんでした。そこで、S地区の代表の方が、私のいる木戸病院に協力を要請してきたことがきっかけとなって、1976年から1980年に掛けて調査を行いました。
 この地区は1978年当時、戸数が98戸、人口451名、うち20歳以上の成人は男性148名、女性173名、計321名でした。この地区で川船を職業とした家は85戸で16.7%が川船を持っています。その川船で砂利や砂を採って新潟や近郊の建築資材として運びいれて生活しておりました。船の上の生活を主とし、米や野菜を積み込んで食事時には投網や釣りで阿賀野川の川魚をとって生活していました。ちょうど畑でナスやキュウリをもぐように、魚はいくらでも、好きな時に好きなだけ獲れたということです。船を持たない家は、専業農家が9戸、他は4戸で商店やサラリーマンの家庭でした。
 調査方法としては最初1976年に木戸病院内科の浜斉医師や保健婦も参加して現地の検診を30名ほど行い大部分は地域で安田の患者の会の事務局を担当している旗野秀人さんが所定の患者の自覚症を調査したものを持参し、3名ほどずつ木戸病院に患者を紹介し、木戸病院では担当の萩野直路が魚の喫食状況や予診をとり、その後に私、斎藤がそれらを患者と確認しながら診察しました。
 この地区の成人321名のうち100名が調査に応じました。そして98%が四肢の痺れ感を訴えていました。他に視力障害、聴力障害、転び易い、手に持ったものをよく落とす。筋肉がぴくぴくするカラス曲がりする。物忘れし易い、腰痛、不眠など図に見るように高率に認めました。
 診察所見においても四肢の末端ほど強い感覚障害(60%)などを認めました。また一親等での家族集積性も認められ、発病時期から言っても水俣病以外は考えられないのですが、これらは皆県と国によって棄却されました。その後、27名がおこした行政不服審査も全てが棄却されました。
 そこで、他の地区で棄却された人も含めて100名が第二次訴訟に入りました。第二次訴訟の地裁判決で第一次として91名中88名が水俣病であるという判決を得たのですが、昭和電工はさらに控訴し、裁判が長引くなかで、原告の中で亡くなる方も多く、260万円と医療費という些細なお金で和解協定に参加することになったわけです。
 2つ目の報告は私どもが現在なお取り組んでいる問題です。メチル水銀は成人よりも胎児期を含め、脳の発育時期により大きな影響を与えることが明らかになっています。新潟のメチル水銀中毒症が公表された後毛髪水銀の調査がやられました。1960年から65年頃には阿賀野川の汚染が強かったわけですので、この頃に生れた子供達はどのように成長したかを調査しています。
 この時期に汚染の強かった母親から生れた子供達には多くの自覚症状が認められました。特にこむらがえり、イライラ感、転び易い、頭痛、四肢のしびれ、眩暈、手先の不器用などの症状が日常生活を普通に生活している人にも認められました。また母親の毛髪水銀が50ppm以上、25~50ppm、10~25ppm、に分類してみますと、50ppm以上から生れた人でも異常のない人もいますが、10ppm以上の母親から生れた人でもメチル水銀中毒症を疑われる症例が認められました。
 メチル水銀汚染は、胎内で汚染された子どものように、今生きている人よりも、その子孫に重大な被害を与えます。これが公害の実態なのです。
 1956年に、水俣病は魚が原因だとがわかり、1959年には魚に含まれていたメチル水銀が原因だということが明らかになりました。
 しかしながら、水俣のチッソも新潟の昭和電工も、水俣病の原因が明らかになってから、急速にアセトアルデヒドの生産を増やしていきました。この結果、アセトアルデヒドの生産過程で副生されるメチル水銀の量も増加することになります。そして、1960年から65年までの間に、メチル水銀で汚染された魚を食べた人びとが水俣病になってしまう。高度経済成長をすすめる当時の政府もチッソや昭和電工のやり方を認めており、そのために3万人におよぶ膨大な被害者が出ることになったわけです。この未必の故意とでも言うべき、こうした企業のやり方は決して許してはいけません。
 日本では九州の水俣病が公表されてから52年、新潟のメチル水銀中毒が公表されてから43年、世界に例のない大きな悲劇を起こしながら未だに全貌は明らかではなく、解決の見通しも立たないなかであらたな裁判も始っています。これらは負の遺産として伝えるとともに、アジアの発展途上の国々で繰り返すことのないよう、地球環境保全のためにともに努力したいと考えています。


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