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環境汚染 年末年始 漢江視察の記録

湖北省 「緑色漢江」の運女史と知り合って数年が経つ。彼女の呼びかけに応じて、筆者は二度目の漢江視察をしようと、列車に乗って襄樊に着いた。

 「緑色漢江」の運女史と知り合って数年が経つ。彼女の呼びかけに応じて、筆者は2度目の漢江視察をしようと、列車に乗って襄樊に着いた。この2年間で、私は運女史の電話に起こされたことが度々あった。実を言うと、彼女の電話を恐がっているのだが、それはあまりに朝早くに来るからではない。彼女の電話を2004年に受け取って以来、その内容は、湖北省と河南省の省境にあるズァイ湾村という村で、癌で死ぬ人が110人、120人、130人と増えていくという報告だから恐いのだ。

 2ヶ月前、運女史からの電話で、彼女が喜びを隠しきれないでいることに気づいた。「白河がきれいになったのよ」。白河というのは漢江の支流のひとつで、千年の古都の襄樊のとなりにある。ここ数年で、汚染によって河の水は黒ずんでいた。最初、彼女の知らせを受けてやや信じられなかった。筆者は、湖北省と河南省の省境にある汚染問題はとても複雑だということを知っている。それは河南省内には多くの製紙工場があるからだが、それらの工場が全部店じまいしたとでも言うのか。無論、運女史がここ数年行ってきた活動も知っている。彼女はボランティア・チームを2つ指揮している。そのメンバーには襄樊の人民代表委員や、政治協商会議委員、政局の幹部、環境保護部局の法律執行者、交通警察隊のリーダー、刑務所のキャンペーン責任者、大学教授とメディア関係者など様々だ。

 運女史自身は各地を回って漢江の保護を訴える講演を行っている。彼女のスピーチを直接聞いたことのある人は数知れない。彼らのボランティア・チームは、かつて国家総理に陳情したこともあり、湖北省と河南省の省幹部、国家環境保護局の官僚にも申し入れをしている。更に、2005年のフォード自動車環境保護の教育大賞をも受賞した。彼らの活動は実に効果的に行われているが、話を聞いていてもどうも信じがたく、この目でどこまできれいになったのか確かめたくなってきた。

 2005年年末、ここ数年、河川の環境に関心を寄せ続けている友人の馬軍と一緒に、我々が取り掛かっている特集の「河川の物語」に1つ目のテーマを設定し、インタビューを始めた。「南水北調プログラムに貢献する漢江と、そのために努力をし続けている運女史」。ところが訪れてみると、我々の目に飛び込んできた最初の漢江の支流のディアウ河は、なんとこのような景色だった(写真1)。これは我々の予想を超えていたが、運女史自身にとっても驚きだったようだ。
 
 同行の水質監督測定分野の専門家呉氏は、これは間違いなくランク5以下(注:水質を5段階で評価した場合、最下位のランク5以下であり、最悪の水質と分類される)の水質だと我々に語った。運女史は茫然とし、「川沿いにある製紙工場がまた人目を盗んで稼動したのかしら。だけど、この水は確かに黒いけど、前より大分良くなったほうだよ」と話した。

 彼女の言葉を聞いて、筆者はあらゆる想像力を働かせたが、川水がこれ以上黒くなることがあるのだろうか。

 ディアウ河に向かう途中、我々は運女史もきれいになったと認めた襄樊の隣にある唐白河を見た。河の上には多少の油が浮いていたほか、辛うじて「河」の色だった。ところが川沿いの風景を眺めていると、「殺風景」という言葉が心に浮かんできた(写真2)。

 この付近に住んでいる市民は、毎日朝から晩までこのような河を見ているのだろうと思うと心が重い。

 ディアウ河を離れ、我々は白河橋に下っていった。白河は運女史を失望させることなく、今日の多くの中国の河川のような色だった。だが、ちょうど運女史が河のこれまであった汚染について説明している最中に、我々に同行した襄樊テレビの人が足を滑らせ、彼が履いていた白いスニーカーが川沿いの泥に沈み、抜いた際に泥も一緒に地面に上がってきた(写真3-3)。

 白河が以前と比べてきれいになったことは、襄樊の民間環境団体である「緑色漢江」の努力なしには語れない。しかし、これらの川底に沈んでいる汚物は、いつまで存在するのだろうか。この問題は、白河と漢河のほとりに住む市民や、その子孫にとって避けられないことであり、予知不可能な現在と将来である。

 続いて、我々は癌村とまで呼ばれているズァイ湾村にたどり着いた。その道中、河南省を通過した際に、閉鎖したはずの製紙工場に新しい工場が建てられているところを見かけた。運女史は思わず冷や汗をかいた。我々は、「もしや生産再開か」と疑わざるを得なかった。しかし、同行の人は誰ひとり我々の質問に答えられなかった。これまで並々ならぬ活動を我々に紹介し続けていた運女史も黙り込んでしまった。

 我々の車が再び湖北省内に戻り、ズァイ湾村に入った。2000年以来、村中に前後して各種の消化器系、泌尿器系の癌に感染した人はすでに130人余りいた。村の支部書記の家族は、すでに4名が亡くなっていた。我々が村に入った時、村長はすでに村の診療室にいた。我々と会見した後、村民らが署名した陳情書を見せてくれた。そこには、村民全員が赤々とした拇印を押していた(写真3-4)。

 寒かったからだろうか、それとも憂いがあったためか、録音した村長の陳情書を読み上げる声は震えていた。しかし、発音はひとつひとつはっきりしていた。それは、これら陳情書の上に書かれている文字ひとつひとつが、読まれるにせよ、書かれるにせよ、ズァイ湾村の人々の心の叫びであるのは間違いなかった。

 運女史は、我々に結腸癌を患った老婆を訪問しないかと提案したため、我々は訪ねた(写真3-5)。

 我々が尋ねると、老婆は娘の手伝いを借りて、ベッドから起き上がって我々を迎えた。娘の話によると、「緑色漢江」が視察に訪れて、ズァイ湾村の状況をメディアに伝えてから、広西省の年配の漢方医からバケツ2つ分の漢方薬が贈られてきたという。その漢方薬を飲んでからは幾分症状がよくなったという。我々のインタビューの中で、娘の声に母親のうめき声も時折混ざっていた。我々が撮った写真に写った2人のツーショットに見られる娘と母親、健康の人と病人、赤い頬と蒼白な面持ち、迷いに満ちた2人の目線、これらはすべて、今後我々と運女史が語り続けていくズァイ湾村民の物語となるだろう。

 唐白河がきれいになることは、「緑色漢江」の願いであり、運女史の夢でもある。我々の今回の視察において、道中、運女史は川沿いに住む人々に絶えず襄樊の摘発ホットラインの電話番号を伝えては、水がにごったらここに電話しなさいと教えた。ズァイ湾村の診療室の若い職員は、昨晩夜中の2時まで起きて、河に汚水を捨てないように監視したという。ところが、10月に運女史が訪れた際にきれいになった河に行ってみると、撮影できたのはこのような水であり、水を沸かしてみるとこのように浮遊物ができた(写真3-6)。

 3,000人余りが居住しているズァイ湾村の中で、誰がこのような水を飲み込むことができるだろうか。また、どのような体がこのような「滋養」に耐えられるだろうか。「緑色漢江」の努力によって、湖北省と河南省は正式に公文書を発行した。それには「総合的に整備し、コミュニケーションと協力を密にすることで、各部門が責任を持ち、団結して汚染を管理する」とある。しかし運女史によれば、これはむしろ希望にしか過ぎないという。これからも生活し続けなければならない我々にとっては、希望だけに終わってはいけない。

 ズァイ湾村を発つとき、すでに夕暮れ時だったが、筆者と友人の馬軍は絶えずシャッターを切り、この写真を残した(写真3-7)。

 彼らの暮らしはこれからも続いていく。

 2006年1月3日、運女史は我々を魚梁州に連れて行った。襄樊が数年前に2億をかけて、この洪水予防のための水逃し場に汚水処理工場を作った。しかし、二期工事に進むと経費が絶えてしまったため、現在では工場の建物のみが残され、人影もなかった。ドアは閉ざされたままで、隙間から覗くと雑草が生い茂っていた。

 南水北調プロジェクトのため、襄樊周辺に崔家営ダムを建設している最中である。ダム完成後、ため池となる襄樊両岸の漢江の水質も、ずっと「緑色漢江」の注目の焦点だった。しかし、襄樊にある唯一のあの空っぽの排水処理工場は、今なお、日々汚水が漢江に流れ込む音を聞いているだけだ。

 年末年始に行った漢江の視察や、その際に残した録音資料と映像資料が、我々とともにどのように2006年を過ごすのだろうか。


写真1

写真2

写真3
記事執筆、翻訳
日付 2006-01-11
筆者 汪永晨 (WANG, Yongchen)
媒体 寄稿
団体名 ENVIROASIA 中国チーム
(ENVIROASIA China)
URL
翻訳者 黄 清純(Huang Qingchun)

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