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「第4回 東アジア環境市民会議」で訪れた新潟。感慨深く、収穫の多い三日間。
「第4回 東アジア環境市民会議」に出席する機会を得、新潟で過ごした三日間は、感慨深く、多くの収穫を得ることができた。その中でも新潟の水俣病患者の会の旗野秀人さんの37年一日の如く、マイノリティの人々のために声を上げる姿には最も敬服した。また最も印象深かったのは企業と政府はなんら責任ある処理を実施せず、2000人もの人々が有機水銀中毒になるという阿賀川流域での新潟水俣病を引き起こしたということだった。
この会には中国と韓国からもNGO組織の代表者が参加したが、彼らのレポートからも工業による汚染が各国の普遍的な問題だとわかった。特に中国のNGO代表者は、生き生きとした具体的な内容で、長江(揚子江)、淮河、遼河、漢江など、各地に存在する汚染問題とその重大さを発表した。表現方法や汚染の程度の違いはあるが、おしなべて言えることは、どの汚染も工業の近代化あるいは軍事の近代化の過程で引き起こされたということだ。水俣病は日本で起こったことだが、それは人類の現在と未来を脅かすものであり、また人類の発展の中で共通して直面する厳しい問題であり、試練である。
会議では東アジアの市民に様々な情報を提供し、新潟水俣病の教訓を伝えただけでなく、中日韓三国の水汚染という地球規模の社会的問題に対する関心を大きく高める、交流と協力を通して、必要なより科学的な予防措置について研究討論するなど、会に参加した代表者それぞれにとって益するところが大であった。
昭和電工 鹿瀬工場跡地(新潟県阿賀町)の見学と被害者の方々との交流では、旗野さんが丁寧に説明してくださった。旗野さんの目には、亡くなってしまった被害者の方々が今も忘れられることなく映っているようだ。「この人たちはこの世に生れて、こんなにつらい病気にかかり、裁判や差別に晒された。」という旗野さんの言葉から、かつて排水の中に含まれていたメチル水銀によって川が汚染されたこと、企業が製品の作り変えを行ったこと、何度にも及ぶ訴訟のこと、そして患者たちが補償を得ることがとても困難なことがよくわかり、日本人のあきらめない精神に心からの尊敬を感じた。
直接交流を通じて、患者の方々が阿賀野川流域に長く暮らし、川に排出されたメチル水銀に汚染された魚を食べ続けたことからこの病気に罹ったということを知った。病状の重さの違いはあるが、この病気の完治は望めない。特に胎児の時に水銀中毒となった患者の方々は本当に気の毒である。
日本の水俣病専門家の研究結果からは、水俣病研究の歴史を知った。この他、「阿賀に生きる」という映画を見て、また私の心は震えた。
三日にわたって得た新潟水俣病の教訓は中韓にとって良い事例となっただろう。中国と新潟は共通する点が多いので、中韓にとって参考になることが大変多い。会の印象や感想とは別に、私が最も考えたのは中国の水汚染の現状と潜在的な被害のことだ。もっと心配なのは、また水俣病患者と同じような汚染の被害者が現れることがあるのではないか、ということだ。すでに起こってしまったこと、起こりそうなこと、将来起こる可能性のあることに対して、私たちはどのように対処すればいいのか? 現にある「癌の村」のガン患者はどうすれば補償を得られるのか。さらに大きな心配は、すべての生態系が受けた損失はどうすれは回復でき、補償できるのか。
今回の会議の締めくくりに中国NGO代表が言った次の言葉に私も大いに賛成する。
・過去に向き合う ――― 被害者の補償
・現在に向き合う ――― 企業の社会責任
・未来に向き合う ――― クリーンな生産
各方面は水汚染問題をより重視すべきである。研究体系を確立し、汚染を食い止める法律の整備と管理体系の確立、またその健全で確実な実施、同時に環境保護は一人一人の責任だという考えや風潮を打ち立てることを促進していくこと、様々な現代の科学と知識を吸収し発展させ、汚染を減らし、持続可能な発展に貢献していかなくてはいけない。
NGOは警鐘を鳴らし続ける!
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