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新潟から帰国してしばらく経つが、旅の記憶が依然として脳裏を駆け巡る
新潟から帰国してしばらく経ったが、空き時間が出来る度にあのお茶目で前向きな水俣病患者の老人らや阿賀野川の美しい風景とともに旅の記憶が克明によみがえってしまう。
「新潟発!東アジアへ~新潟水俣病の経験に学ぶ~」をテーマとする第4回 東アジア環境市民会議はわずか3日間の会期だったのにも関わらず、主催者側の綿密な計画により充実した内容であった。討議方法も発表や報告に留まらず、参加者側が発言やコメントすることができ、質疑応答することによって発表者と一般参加者間の双方向の交流ができた。こうした主催者側の工夫により、我々海外からの参加者も、新潟水俣病の発生原因から結果まで完全なる真実を知ることができた。
特に「環境と人間のふれあい館」に訪れた際、78歳にもなる語り部の権瓶晴雄氏による病を患ってからの過程の細部に亘っての説明、水俣病を公害として取り上げた報道や写真の数々は我々の心に重く響いた。そこで環境汚染が人類に与える危害の深刻さを意識し、我々はこの教訓を心に刻み、覆轍を踏むまいと誓った。
新潟に滞在している間、私の心は常に一種の強い執念に似た感情のような物に占拠されていた。これは恐らく新潟で得たもう一つの貴重な収穫であろう。今回の新潟の旅は私にとって単なる環境保護の旅ではなく、心を洗われる旅でもあった。
このような強い感情はまず、安田患者の会で事務局長をしている旗野秀人氏から来るものであろう。旗野氏の本職は建築業であり、新潟水俣病とは関係がないが、彼は確固たる考えの持ち主で、人を愛する心を持っている。新潟水俣病患者が正当な賠償金をもらうため、37年間患者とともに闘ってきた。患者と友達になり、苦痛を理解し、ニーズを聞き取るなどの活動を続けた結果、一部の水俣病患者の救援に成功した。特に旗野氏が友人と撮影したドキュメンタリー映画「阿賀に生きる」は、我々に貴重な歴史材料を残してくれた。
私の強い感情はまた、水俣病の苦痛を味わい続けてきた年老いた患者から来るものも多かった。彼らの最年長は90歳を超えており、若い者もすでに70歳代である。ここで私は水俣病の特徴は外見からは症状がわかりづらいが、手足のしびれや味覚の消失、聴力の衰えなどの障害が起きることを学んだ。前出の権瓶氏は現在、臭覚を完全に失い、食べ物を口に入れない限りどのような物か弁別さえもできないという。また、水俣病の治療方法はいまだに見つかっていないようである。
それでも患者たちは前向きに生きていた。韓国からの代表が「訴訟によるストレスや世間からの差別的な視線は苦痛を伴うものであるが、どうして皆さんはここまで前向きにいられるのか」という質問をした際、患者からの答えは歌による苦痛の否定であった。こうした彼らの生命に対する強い思いは我々を深く感動させた。
私の強い感情は、廣瀬氏をはじめとする東アジア環境情報発伝所で集まる多くのボランティアから来るものでもあった。環境保護への強い思い、大自然への深い愛情は彼らに多くのものを放棄させ、自らの時間と力を環境保護に費やすことに駆り立たせた。
廣瀬氏が1歳になる子どもを連れて会場に現れ、忙しく動きまわるのを見て、私は感銘を覚えるのと同時に、我々は子どもが父親とじゃれあう時間の邪魔をしてしまっているのだと、心の奥底から忍びなく後ろめたい感情が湧いてきた。
新潟会議は終わったが、忘れがたい人々、忘れられないストーリーは永遠に我々の記憶の深いところに残っている。このような強い感情は私にとって、これからも環境保護の道を歩み続ける励ましになるのであろう。
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