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水俣病「公式確認」から51年目の今春、熊本水俣病・新潟水俣病のそれぞれについて、様々な新しい動きが起きている。
水俣病の現場へ行くたびに、魂を揺さぶられる思いがする。今春の場合、複数の新たな裁判の提訴やその準備などの事実や内情、漏れ聞いた被害者団体と環境大臣の懇談の様子、汚染源企業の厚顔無恥な態度、水俣・新潟両水俣病の現場を初めて連続訪問して見えてきた違いなどが、その主な原因であった。一言でいえば今年も「水俣病は終わっていない」のだが、その内容は昨年とは異なるものである。
まず、82歳の川上敏行氏が新たな提訴の準備に入ったという話は衝撃的であった。川上氏は、2004年秋に最高裁判所で勝訴した関西訴訟の最後の原告団長であったものの、その後も水俣病と認定しようとしない行政の対応にしびれを切らし、5月18日に熊本県を被告として訴訟を起こす予定という。
川上氏は、昨年4月末の水俣での集会で、最高裁で勝訴したのに、その後、行政から何も引き出せず申し訳ない、と他の被害者たちに謝っていた。その想いと今度の決意は直結しているように見える。それにしても数十年かかって最高裁判決まで勝ち取っても、また最初から裁判をやり直さなければならない水俣病の裁判とは何なのであろう。
なお、熊本水俣病をめぐっては、このほかにも個別にいくつかの認定を求める裁判が進行中であるのに加え、2005年に起こされたノーモア・ミナマタ訴訟では原告が1000人単位にのぼり、他の新たな訴訟の準備も進められている。
新潟水俣病をめぐる裁判の概要は、熊本よりは単純で、最初の汚染源となった企業を訴えたのが第一次訴訟、その後、患者であるはずなのに認定を受けられなかったために認定を求めたのが第二次訴訟である。第一次訴訟は原告勝訴、第二次訴訟は1995年の「政治決着」により和解した。そのほか個別の裁判は散発的にいくつかあったものの、この春以前の大きい訴訟は以上の2次だけであった。それが4月になって、新潟でも新たな訴訟として第三次訴訟が起こされた。
(熊本)水俣病慰霊の日である5月1日の午後、慰霊行事のあと、環境相、県知事らは鹿児島県出水市で患者・被害者団体と懇談した。出水市は水俣市の南隣にあり、やはり熊本水俣病の被害地である。この会合では当初から招かれていた6団体のみが発言を許された。各団体の要望は、かつての汚染源であるチッソ水俣工場を発展させることによる地域活性化から、新たな政治決着による早期救済、特別立法、さらには行政責任の明確化を前提とする全面調査に基づく抜本的な救済まで、相矛盾しつつ広範にわたるものだった。これらに対し若林正俊環境相は「皆様から意見をお聞きし、解決を図っていきたい」とお茶を濁すのがやっとだったという。
慰霊の日の前日に開催された集会で、医師として長年水俣病に関わってきた原田正純氏が「年配の被害者が命あるうちの救済を求めて和解するのは仕方がない。しかし、若い世代の被害者はとことん水俣病の被害を明らかにするよう闘うべきだ」との旨、発言されたのは印象深かった。ここで言われている「若い世代」とは50歳代を中心とする世代のことで、一般世間が「若い」と考えるよりも年齢層は高い。しかし、水俣病の文脈でも今や若い世代に入れられることはないであろう82歳の川上氏が、新たな訴訟を決意せざるをえない現状にあることは、行政の絶望的なまでの不作為を示している。
(関連URL)
・川上さん夫妻の水俣病認定訴訟を支える会
http://www1.odn.ne.jp/~aah07310/kawakami/index.html
・ノーモア・ミナマタ国賠等請求訴訟弁護団
http://www.kumamotokyodo.jp/nmhp/
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