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見えてきた新潟独自の表現スタイル
映画「阿賀に生きる」が完成して16年、はじめは活字でも絵画でも表現手段は何でも良いと思っていた。しかし、国内だけでなく、海外の映画祭でも言葉の壁を越えて評価され数々の賞を受賞したことや、2006年中国・西安市での第3回東アジア環境市民会議で上映されて今回の新潟会議開催の原動力になったことを思うとやはり映像の力は凄い。
映画が完成して3年後の1995年、新潟水俣病第二次訴訟は13年半の闘いを終えて和解となる。弁護団長は和解に異を唱え辞任したが、同志が次々と亡くなっていく高齢の原告にとっては苦渋の選択だった。その年の暮れ、原告でもあった安田患者の会は初めて温泉宿での忘年会を計画した。会を結成して四半世紀も経っていたが、「カンパをもらって温泉宿で宴会している」と噂されるのが嫌で我慢して来たという。和男さんやシズさんの懐メロに始まって、勇さんの演歌に晴雄さんの唱歌と続き、最後は患者の会専属歌手の参治さんが「安田甚句」を歌えば、新美さんや徳太郎さんが踊って大いに盛り上げた。こんなに楽しげな患者の皆さんの姿を私は初めて見た。温泉にドップリと浸かりながら「今日はいかった、冥土のみやげになったよ」と感謝された。
思えば行政不服や裁判闘争にかかわって支援してきたつもりではあったが、実は救済してやらねばならない可哀相な人たち、と勝手な被害者像を強いて、患者さん自身の心の解放を妨げてきたのではないかと反省した。そして、高齢の患者さんの残された時間を「水俣病にはなったが、それでも生きていて良かった」と喜んでもらえるような楽しい運動を展開していこうと「冥土のみやげ企画」を立ち上げた。患者会の長老、参治さんは唄が何よりの薬だと言うので、米寿のお祝いに「唄は百薬の長」という民謡のCDアルバムを制作。畑仕事がリハビリと言う90歳過ぎても畑に通っていたキソノばぁちゃんには、その姿を映像にしてプレゼント。「冥土のみやげツアー」と称しては、患者さんと共に全国各地に上映会や講演会にも出かけて行った。公害の原点、足尾鉱毒事件で知られる渡良瀬川のほとりや水俣湾の埋め立て地、そして阿賀の岸辺にそれぞれお地蔵さんを建立、末永く後世に語り伝えられることを願った。お地蔵さんの物語は絵本や紙芝居にもなって子供たちにも喜んでもらえた。最近になってようやく「新潟の表現スタイル」がいくつか見えてきたように思う。
今、新潟県は全国に先駆けて被害者の独自救済を進める県条例や、「新潟版もやい直し」と言われる「阿賀野川流域地域フィールドミュージアム事業」を展開しようとしている。一方、その県の行政責任を初めて問う新潟水俣病第三次訴訟も提訴されている現実もある。いよいよ第4回東アジア環境市民会議の新潟開催が迫ってきた。中国、韓国の現状を知るまたとのないチャンス、多くの参加者を期待したい。とくに中国は新潟水俣病と同様、河川の水汚染が問題となっていると聞く。新潟の過去と現在をありのままに見てもらい、いくらかでもお役に立てることができたら開催地としては幸いなことである。
(第4回 東アジア環境市民会議)
http://www.enviroasia.info/aga/2008/J/index.html
(あが便り バックナンバー)
・その4「“新潟の宝もん”~映画『阿賀に生きる』」
http://www.enviroasia.info/news/news_detail.php3/J08082201J
・その3「患者さんにずっと寄り添っていくという決意」
http://www.enviroasia.info/news/news_detail.php3/J08071801J
・その2「立ち上がる安田町の人びと」
http://www.enviroasia.info/news/news_detail.php3/J08062001J
・その1「第4回東アジア環境市民会議・新潟開催に向けて」
http://www.enviroasia.info/news/news_detail.php3/J08060602J
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「阿賀の岸から渡瀬へ」のお地蔵さん

絵本「阿賀のお地蔵さん」と作者のわっくん

キソノばぁちゃんは「畑仕事が薬です」と言う
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