|
環境省主催の水俣病セミナーが開催された。
「水俣病の教訓を次世代に伝えるセミナー~水銀の健康影響と世界の水銀汚染~」(主催:環境省)が、3月1日、東京の国連大学で開催された。
このセミナーは、1996年に始まった水俣病経験の普及啓発セミナーの一環で、1996年から2002年までは東南アジアや中国で開催されていたが、 2003年から水俣病経験を次世代に伝えるセミナーとして日本国内で開催されている。日本国内で開催されるようになってからは、アジア各国の環境行政担当者を招聘し、セミナーとあわせて水俣市や新潟市を訪問しての研修も行われてきた。今回も中国、韓国、インドネシア、フィリピン、タイ、ベトナム、モンゴルの7カ国から14名が参加した。
冒頭、水俣から金子スミ子さん(水俣病資料館語り部)、新潟から小武節子さん(環境と人間のふれあい館語り部/新潟水俣病被害者の会副会長)のお2人の語り部による水俣病と新潟水俣病の講演がそれぞれ行われた。
金子さんのご主人は、水俣病により1955年、25歳の若さでなくなられた。長男も2歳を迎える頃に水俣病を発症し、次男は生後まもなくなくなられたという。夫に先立たれた時に、妊娠7か月だった金子さんは、水俣病を危惧し、「お腹の子どもを始末しましょうか」と姑に相談までしたという。その後、元気に生まれた三男の雄二さんも、1962年に胎児性水俣病と診断された。
ご自身も水俣病患者である金子さんは、家族を失った1955年以降、2002年の水俣病犠牲者慰霊式で遺族代表として祈りの言葉を語るまで、ご家族の中でも水俣病について話すことはなかったという。この祈りの言葉で初めて水俣病で苦労した祖母の体験を聞いた3人のお孫さんの勧めもあり、水俣病の語り部となった。最後に「二度と悲惨な公害が発生しないことを、自分が味わった悲劇を二度と繰り返さないことを願って、これからも体の続く限り私の経験を語り伝えていきたい」と語った。
これは金子さん、小武さんともに口をそろえて指摘するところだが、汚染を防止するどころか、その汚染を拡大させてしまったと言っていい政府と企業の責任は重い。50年が経った現在でも、未だすべての水俣病患者が救済されておらず、訴訟が続いている。今回のセミナーでは、語り部のお話のほか、国際的な水銀規制と毛髪水銀調査についての興味深い報告が行われたが、「水俣病の教訓を次世代に伝える」と題する以上、その主催者である政府が、水俣病、新潟水俣病から何を教訓とし、今後どういう姿勢で臨もうとしているかという話こそが要である。アジア各国からの参加者もいる中、そうした話があいにく聞けなかったのは残念だった。
|