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生態系 4大河川事業が河川を救うことができない理由

韓国全土 コンクリートに閉じこめられた漢江、どこが模範的なのか

 バスに乗って漢江を渡る。4大河川事業真っ只中の驪州(ヨジュ)南漢江に行くためだ。同じ漢江でも、驪州とこちら東ソウルでは、流れる水の模様も生命力も景観も雲泥の差だ。

 80年代に建設会社社長として漢江治水事業の総指揮を執った大統領と、その同志が話すところの4大河川事業のモデルである漢江は、ソウル流域で水量が多いことを除き、どんな点が模範的なのか。4大河川を隅々まで通ってみたが、本当に分からない。

 河川の治水と利水を中心に統治していた時代があった。韓国だけではなく、多くの先進国がそうだった。河川の周辺に農地があり、広い原野に都市を作って暮らしていたために、50年から100年に一度あるかないかの豪雨によって家と村が浸かり、下水処理のための予算がとれず糞尿が漂ったそんな時代、川は汚くて危険だった。ゆえに、とにかく河川の水が襲って来ないよう高い堤防を積み、早く下に流れるよう河川路を矯正した。水の流れを邪魔しないよう、また人々のために橋やダムを数百個作る一方で、木一本、草一株すら人の手で植えることができなくなってしまった。

 その結果、河川は索漠とした空間へと変わった。コンクリートの堤防と護岸に閉じこめられた水は、多様な生命を宿すことも育むこともできない、大きくて貧弱なただの器となってしまった。氾濫を恐れて水を閉じこめた結果、河川に存在すべき適切な湿地と、鳥や魚、貝などが消え、河川は生態的に砂漠と化してしまった。コンクリートに閉じこめられ、コンクリートを眺めながら暮らす現代人たちの乾いた心を癒す都市空間が切迫され始めるにつれ、河川が注目され始めた。河川を蘇らせ、都市に自然と生命を吹き込むための大転換が始まった。先進国が開発時代にいい加減に造った堤防とダムと運河を撤去し、河川に自然を呼び戻そうというのだ。

 しかし、2010年現在、韓国の河川は無残な状態である。16箇所にもなる堰の建設で河川の地肌が悽惨に出現し、砂と砂利を掘り出したために100箇所にいたる河川湿地が破壊されている。10種あまりの珍しい生物たちが消える危機にある。驪州南漢江では絶滅危機2級である丹陽嫁菜の群落地が破壊され、錦江錦南堰工事区間では絶滅危機1、2級であるオジロワシとオオワシの休息地が全て消えた。生態系破壊だけだろうか。河口を除き、平均的に生化学的酸素要求量(BOD) レベルで二級水を維持していた河川が、工事による汚濁水と堆積層の重金属汚染源に晒され、汚染が早まっている。河川の生態系復元と水質のために必要だという4大河川事業が、逆に4大河川を殺しているのだ。

 4大河川工事がどれほど暴力的で破壊的か、工事現場に行ってみればよく分かる。大げさな論理や具体的数値は必要ない。“ああ、これだったのか。大統領とその同志らが救おうとしていたのは、4大河川の生命でも水質でもなく、行列をなして休む間もなく動く重機たち。つまり土建同盟(施工主、地主、用役企業体)だったのか” と実感させられる。

 4大河川推進勢力は国民相手にいまだ80年代の謳い文句を並べ立てている。4大河川の水は不衛生で生態系はすべて死んで荒涼としている、漢江のように救わなければならないと主張している。漢江ソウル都心区間と驪州南漢江を直接見比べてほしい。復元しなければならない河川の生態系、取り戻さなければならない水質は果してどちらなのか、どこに洪水対策が必要なのかを。洛東江と錦江、栄山江も決して違いはない。国民を二つに分け、4大河川流域を総体的に破壊する4大河川事業は、そろそろ中断するのが大統領と河川、国民を救う道ではないだろうか。


索漠としたコンクリートに閉じこめられた漢江ソウル区間。多様な生命を宿すことも育むこともできないソウル漢江を政府は4大河川事業のモデルとして提示している ⓒハン・スギョン

河川復元の成功モデルとして評価されるドイツのイザール川。直線化されたコンクリート河川が却って洪水を助長し、地下水の枯渇を誘発するという事実に気づいたドイツ政府は、水路だったイザール川を砂洲が生きる自然河川へと修復した。ⓒイム・ヘジ


記事執筆、翻訳
日付 2010-04-08
筆者 キム・ジョンナム (Kim Jong-Nam)
媒体 寄稿
団体名 韓国環境運動連合
(KFEM)
URL http://kfem.or.kr/
翻訳者 鄭 良子

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