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第二の水俣病が発生した新潟県阿賀野川流域。1960年代、工場の廃液として川に流されたメチル水銀がきっかけとなって、企業と行政の無責任な対応のために、2000人もに有機水銀の毒が及んだ。豊かな水量を誇る阿賀野川は、世界で2番目の水俣病事件を記憶する川だ。この流域に「冥土のみやげ企画」という一風変わった名前で水俣病と向き合う人びとがいる。代表を務めるのは、新潟水俣病安田患者の会の事務局を担う旗野秀人さん。
「冥土のみやげ企画」では、水俣病の惨劇が風化して二度と同じことが繰り返されないように、患者さんの日々をビデオに収め、当時のことを書き残し、語り部活動を展開している。1992年には、映画『阿賀に生きる』(佐藤真監督)も完成させた。映画制作にとどまらず、地蔵を建立したり絵本を制作したりと、文化的に幅広く活動している。こうした活動の柱になっているのは、水俣病の患者さんたちと一緒に“楽しむ”ことだと、旗野さんは言う。
「みんな、どんどん死んでいくんだもん」と旗野さんはため息をつく。旗野さんの胸中からは、高齢化し、1人また1人と亡くなっていく患者さんの姿が離れない。「生まれてきて、こんなに苦しい病気になって。その上、裁判だ差別だなどといろいろあって。でも、死ぬときには、『生まれてきてよかったな』『俺の人生も、そんなに悪いもんじゃなかったな』と思ってもらいたいんですよ」
「冥土のみやげ企画」では、毎年5月に全国からの仲間を新潟に迎え入れる。恒例となった患者さんの追悼集会に参加するのは、同じ水俣病ということで知り合った熊本の患者さん、映画制作や絵本製作の過程で協力してもらったアーティスト、水俣病を学ぶ学生さんなどなど、100名近くを数える。
人びとは歌い、踊り、そして酒を飲む。その年に亡くなられた患者さんを、彼らの流儀で、賑やかに追悼する。どの顔にも笑みが広がる。
旗野さんは彼らみんなのことを「宝もんのような人たち」と呼ぶ。患者さんが1人亡くなると、「またひとり遊んでもらえる人が亡くなってしまった」と肩を落とす。患者さんを“助ける”つもりで水俣病と関わったものの、ふと気づけば「患者さんに育てられ、支えられていた」ことに気づいたという。
「(阿賀が)大切だから」「(患者さんたちが)好きだから」と続けている活動は、35年目を迎えた今年、旗野さんを初めての海外へと向かわせた。講演のために呼ばれた中国で、水俣病という“負の遺産”を、現在河川の汚染に苦しむ中国の人びとの今後に役立ててもらえるようにと、心を込めてこれまでの患者の支援活動の経験を話した。
夜には、フィルムに酒が浸り込んでできた『阿賀に生きる』を上映しつつ、そこでも酒を酌み交わした。「私たちの経験を伝え、父や祖父たちが犯した(侵略という)大罪への償いの一歩にしたい」と旗野さんは小さく、固く話した。
4月には花見会、5月には追悼集会と、患者の会には毎月のように催し物が目白押しだ。次はどんな面白いことをやろうか、旗野さんは大好きな酒瓶を片手に、常に頭を悩ませている。
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ある年の追悼集会後の宴会(旗野秀人氏提供)

中国・西安での会議で発表する旗野さん
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